ある、UO とその HP のお話 (前編)
(注釈)
このお話は、私の UO をプレイするきっかけと、UO 黎明期の頃のプレイのお話、そしてブリ観がどうして誕生してどのように発展して言ったのかを回顧録のように書いたものです。
この頃の UO はまだ日本シャードが誕生する以前の「海外シャード時代」と呼ばれる古い時代であり、今とは全然異なるゲームバランスを持っていました。
最近 UO を始めた人だと、全く違うゲームの話の様に思えるかもしれませんね。
また、全てが英語だった時代であり、プレイ方法は自力で学ぶ必要がありました。

もちろんこの当時は、ヘイブンやチュートリアルと言ったものは存在しません。

(2001年2月記)

今回から何度かに分けて、私のUOの経歴と言うか、ブリ観の歩みと言うか、そういうのを書いてみたいと思います。

私がUOを始めて約3年が経とうとしています。 ブリ感も2年半になろうとしています。
UOもブリ観も長い間にどんどん変わっていきました。
最初の面影なんか、もうほとんどありませんね・・・

私はどんな感じでUOをプレイしてきたのか、ブリ観を作ったのか、そしてどうなって来たのか、ここでそんな所を綴ってみたいと思います・・・

−−−−−−−−−−−

=ある、UOとそのHPのお話=

・その1、「ウィンドウズ」が来た日

私が初めてパソコンに興味を持ったのは小学生の頃でした。
その頃、ファミコンに繋げて BASIC という最も基本的な言語でプログラムが出来る「ファミリーベーシック」というのがあって、それをお年玉で買って遊んでいたのが最初です。
たった4キロバイトしかないものでしたが、それでも結構いろんなプログラムが作れ、かなり面白く使っていました。
その後、中学になって友人の MSX を私物化
(^^;、それで雑誌に掲載されているプログラムなどを入力・改造したりして遊んでいました。

しかしその後スーパーファミコンが発売され、それ以降まったくパソコン関係はいじらなくなります。
スーパーファミコンで、ファミコンより高度なゲームが次々発売されたので、そっちで遊ぶ方が忙しかったんですね。
知り合いの持っていた PC-8801 でパソコンのゲームをやるために毎日通っていたりしていた事もありましたが、だんだんパソコンへの興味は薄れていきました。

私が改めてパソコンを買ったのは・・・
それから何年も先、1997年の冬でした。 買った理由は、「Windows 95」!
ニュースで色々取り上げられ、「インターネット」とかいうのが話題になり始めて、また興味を持ち始めたのです。
で、その年の冬のボーナスで、「うぉりゃー!」と買ってしまったのです。^^;

が、私のパソコンライフはいきなりつまづきました。
なにせ、買ったパソコンがいきなり不良品!
電源ボックスの不良で電源自体入らない!
買ったお店に持っていっても、そのパソコンは安い型落ち品だったためもう在庫はない状態。
で、そのまま修理に出す事に。
しかし、いつまで経っても帰ってこない!

お店に聞きに行くたびに、
「あ、いま年末で修理が込んでいるんです」
「あ、年末で修理工場が休みなんです」
「あ、まだ年始で修理工場が本格的に動いてないみたいです」
「あ、まだ今年始まったばかりなので忙しい様です」
なんて言われていつまで経っても修理は終わらない。

結局私の最初のパソコンは、11月に買って、実際に使えるようになったのは 2月でした。
もちろん、何の保証もなし。
別に小さいパソコン店ではなく、地元でも最大規模のパソコン専門ショップで買ったのですが・・・ 運が悪かったと思うしかありませんね・・・

で、やっとパソコンが来て使おうと思っても・・・ どうやっていいんだかわからない!

私にとってのパソコンは、まだ「ファミリーベーシック」だったのです。
「うぃんどおず」なんてものは全然わからなーい!
いきなり表示される Windows のデスクトップ。 完全に意味不明。
プログラムしようと思っても、キーボードを打っても何も表示されない。
訳わからないまま、とりあえず「いんたぁねっと」なるものをするためにニフティに てきとー に入会。 接続。 やっぱりよくわからない。
何せこの時、ニフティの「パソコン通信」と「インターネット」の区別がついていない。^^;

でも、ニフティに入ったおかげで、そこのパソコン関係のフォーラムで初期知識はつきました。
かえってラッキーだったかもしれません。

で、そこで色々ショックを受けます。
今の容量はかつての「キロ」単位ではなく、その1000倍の「メガ」のさらに1000倍の「ギガ」単位の容量である事。 まず、この時点で時代の流れにショック。
さらに、今のパソコンは「プログラム」をするのに数万円もするソフトがいるという事。
これは私の「パソコン感」を完全に打ち壊すもので、さらにショック。
私は完全にパソコンの浦島太郎状態だったのです・・・

で、それからパソコンをマスターするまでに1ヶ月ぐらいかかりました。
この間、ヘンにいじってウィンドウズが壊れて、2回再インストールしました。^^;
インターネットとかニフティとかに繋げまくって、電話代が4万円近く来て怒られたりもしました。
でもまあ、この辺はみんなやらかしてるかもね。^^;

で、何とか「現代のパソコン」が何であるかと、その仕組み・操作法・ネットの使い方がわかってきた所で、私が最初にしようと思ったことは、パソコンが家に来る前からずっとやりたいと思っていた事・・・

「インターネット・ゲーム」でした。

そして、私はネットゲームの世界へと入っていく事になるのですが・・・
この続きは、また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その2、ネットゲームの正体
 (前回のあらすじ : パソコン買いました)

1998年3月、パソコンを買って、というか実際にそれが家に来て使い始めてから約1ヶ月が経ちました。
何とか Windows の使い方がわかった私は、さっそくネットゲームを買ってみようと考えます。
それはゲーマーである私にとって夢のシステムでした。
家にいながらにして、他人とゲームが出来る!!
それはもう新世代のゲームであると思っていました。

で、当時のネットゲームと言えば「ディアブロ」でした。
これは世界初の本格的なネットPRGであり、すでに全世界で遊ばれているゲームである、と聞いていたからです。
で、買おうかなー、と思っていたある日・・・
古い友人からいきなり電話がかかってきます。

話をすると、なんとその友人は私と全く同じ時期に、全く同じ様なスペックのパソコンを買っていたのです!
で、私が前にパソコンをいじっていた事を知っていたので、それで電話をして来たのでした。
そして、色々とパソコンの話をしているうちに、ゲームの話にもなります。
それで私が、「ディアブロ買おうと思ってるんだけど」 と言うと、彼は・・・
「ああ、買ったよ。持ってるよ。」
・・・なにぃ〜〜!? さっそく後日、持ってきてもらいました。^^;

本当はパソコンソフトの貸し借りによるインストールは違反なのですが、もちろん当時の私達がそんな事知るはずもありません。(^^;
サクっとインストールしてプレイしてみます。
が、まるで英語! 見事に英語! 意味不明!!
さらに、「ネットプレイってどうやるの?」と友人に言うと、「知らない。」 と一言。
ディアブロでネットプレイするには、英語のページで登録を行い、英語のロビーで会話をして仲間を募るか、IP をチェックして特定の相手とプレイしなければなりません。
しかしその頃の私達が、「いんぐりっしゅ」なページの見方や、「あいぴぃ」とかいうものの使い方を知るはずがありません。

そしてその夜、私はインターネットの検索でディアブロについて調べようとします。
しかし、そこで見たものは・・・
「今日は〇〇人殺した」とか、「〇〇に殺された」とか、「アイテムを奪われた。だれか仇を討ってくれ」とか、そういう殺伐とした話ばかりでした。
そしてどのページを見ても、PKの事ばかりが目立って書いていました。
そして私はそれを見て思いました。
「ネットゲームって、こんなもんなのかよ。」

私は、見知らぬプレイヤー同士が協力したり、共に戦ったりするのがネットRPGで、たまに対立などもあるだろうけど、もっとプレイヤー同士が交渉できるものだと思っていました。
しかし私が見た当時のディアブロ関連ページはほとんど、対戦や対立を通り越し、恨みや、憎しみや、暴力的表現で溢れていました。

さらに調査を進めていくと、私はあるページに辿り着きます。
そこは、「チート」に関するページでした。
そのページでは当たり前の様にチートやバグ利用の方法が記載されており、チートのためのソフトウェアまでアップされていました。
私は興味半分でそれをダウンロードし、実行してみます。
すると、キャラクターのステータスを自由に増やしたりできるのはもちろん、レアなアイテムを含むあらゆるアイテムを自由に作り出す事が出来ました。
さらに、ディアブロではそれらのアイテムがすでにネット上に氾濫している事も知りました。
そう、私がディアブロをやろうとした頃は、すでにディアブロのシステムは崩壊しており、末期的な状況だったのです・・・

私のディアブロに対する興味は、完全に消え失せました。
シングルプレイで一通りプレイし、その後、もう二度とやる事はありませんでした・・・


しかしディアブロについて調べているうち、もう1つのネットゲームの存在を知ります。
それが 「ウルティマ・オンライン」 です。
私は元々ウルティマシリーズが大好きだったので、すぐに興味が湧いて来ました。
が、やっぱり ウルティマ・オンライン について調べても、当時のUOのページは PK の事ばかりが書いていました。
「街から出れば殺されて当然」、「銀行では盗まれて当然」、「人は基本的に信じるな」
そんな事ばかりが書いています。

しかし、一方で私が UO をやりたくなる文章が書いてある場所もありました。
それは、ニフティの Ultima Online フォーラムにその頃書かれていた、「うるうる日記」というものです。(*UOサイトの うるうる とはまったく別です)
これはあるプレイヤーの方が自分のプレイを物語調にして連載されていたもので、仲間と一緒に狩りに行ったり、ダンジョンで別プレイヤーと協力したり、生産系のスキルでお金を稼いだりする事がすごく楽しそうに書かれていました。
もちろんPKされた話題もよく出ましたが、それもUOのアクセントの1つという感じで、面白そうに書かれていました。

で、この「うるうる日記」を読んでいるうち、私はUOをすごくやりたくなって来たのです。
ディアブロでネットゲームに幻滅していたのもありましたが、結局その月の終わり頃、私はUOを買うことになるのでした。

こうして、私のブリタニアでの生活が始まる事に・・・
は、まだならなかったりして・・・ ^^;

この続きは、また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その3、ブリタニア最初の1日
 (前回のあらすじ : UO を買う事にしました)

1998年 3月、ニフティの「うるうる日記」などの影響で UOを買うことに決めた私は、さっそく必要となるクレジットカードを注文、その後、ついにUOを買ったのでした!

当時の「Ultima Online」は約1万円、布製のブリタニアマップが付いていました。

インストール後、さっそくアカウントの登録を行います。
これはもちろん英語のページで行うしかありませんでしたが、それについての詳しい解説ホームページを見つけていたし、付属のインストールガイドにも載っていたので、特に苦労する事はありませんでした。
で、アカウント登録後、一通り操作法などを確認し、いよいよUOにログインします。

もちろんステータスやスキルの詳細はわからないので、適当に好みで選択します。
(当時は職業選択や Young クエストなんてなかった)
で、キャラの名前や顔、服装などを決め、いよいよゲームスタート!

すんなり入れるかどうか心配していたのですが、数十秒後、キャラは見事に見知らぬ街角に登場! ディアブロがネットプレイの入り方が全くわからなかったので、こうしてネットゲームの世界に入れた事にまず感動します!

しかし・・・ いきなり画面中に表示される英語! 英語! 英語!
まるで読めない! どうしていいのか全くわからない!
しかもこれがネットゲームであり、周囲にいる人がみんな実在のプレイヤーであるという事実が、私に無言のプレッシャーとなって押しかかります! (NPC と PC の区別ができてない)

で、出てきた宿屋の玄関先をやる事もわからず、無意味にうろうろしていると、突然青いローブを着た人物が私の前にやってきて、「hi」と話しかけてきました。
私も「hi」と返事をします。 ネットプレイ初の会話です。
そして、「誰だろう?」と思い、彼の姿を適当に Wクリックしてみます。
すると新しいウィンドウが開き、そこに表示された彼の姿は・・・
なんと、顔が骸骨だったのです!!! (ボーンヘルムかぶってた)

UOをやる前、私はさんざんUO系のHPで、残虐なPKの話や、卑劣なシーフの話などを見ていました。
そのため彼の顔を見た瞬間、私は思いました。
「こいつは悪人に違いない!!」
その後、彼は英語で何やら喋り始めます。
しかしもちろん、全然意味がわかりません。 そして私は思います。
「やばい! なにか騙されようとしている!!」 (偏見)

しかし良く聞いてみると、「ドアはWクリックで開くんだよ」とか、「まずは物の取り方や動かし方を試すといいよ」とか、初心者向けのアドバイスらしきものを話してくれているようでした。
しかし、すでに猜疑心 200%の私はそう簡単には彼を信じません。
その後も彼は話を続けますが、だんだん英語が意味不明になって来ます。
私は思います。 「このままでは何かマズイ!」

そこで、私は彼に一言、「 Thanks. bye.」と言うと・・・
いきなり猛ダーーッシュ! 逃走!!
しかし彼もすかさず「wait」とか言いながら追いかけてきます!
でも捕まったらまたイングリッシュ・シャワーを浴びせられる上、その後何をされるかわかったものではありません! (と思っている)
ひたすら街の中を駆けずり回り、逃げまくった末・・・
ようやく、私は彼を振りきる事に成功しました。
「ふう・・・ 助かった・・・」

そして、やっと一段落付こうかと思った矢先・・・
突然、目の前に赤い火柱が!!
しかもそこでは誰かが「ゴウゴウ」という音を出しながら焼かれている!!
それを見た瞬間、私は思いました。
「PKだっ!!!」 (ホントはただのレジ上げ)
(*当時は FF を街中でも出せて、レジストの修行が出来た)

もちろん私は再びダッシュ! またもや逃走!!
こんなスタート直後にPKされて全財産なくしたのではたまったものではありません!
(もちろん初期装備がなくならない事なんて知らない)
しかし街の中は安全だと聞いていたのに、その街中でPK現場を見た(と思っている)のですから、もはや逃げ場所なんてありません!
そのうち、スタミナが尽きたキャラクターは動けなくなってしまいます。(もちろんスタミナがあるなんて知らない)
突然なぜか止まってしまった自キャラ。 助けを求めようにも、周囲は相変わらず英会話。
おまけにゲーム自体もよくわからない。
意味不明な上に連続で襲われた(?)私の精神的ダメージはついにMAXになりました!
「だめだ・・・ 噂通り恐ろしいゲームだ・・・ 今日はもうやめよう・・・」

そして、正しいログアウトの仕方なんて知らない私はそのままキャラを放置しその場でログアウト、記念すべきブリタニアの初日が終わったのでした。

その後、私は約2週間、UOに触れる事はありませんでした・・・ ^^;;

それからどうなったのかは・・・ また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その4、手探りな日々
  (前回までのあらすじ : UO買ったけど1日でやめました)

1998年 4月のある日、私は最初に1度だけやって、そのままほったらかしだった UO が突然やりたくなりました。
理由は単純。 ヒマだったから。^^;

しかし、前回のプレイがあまりにも最悪だったため、私は改めて情報収集から始める事にし、特に序盤の設定やまず何をすればいいかなど、スタート直後の行動などについて重点的に調べる事にしました。
そして、まずテキトーな調査用キャラを作って色々とテスト。
ある程度わかった所で、本格的にスタートする事にしました。

当時の UO には、「説明書」というものは付いていませんでした。
パッケージについているのは、基本的な操作法だけを書いたリファレンスガイドと、インストールガイドのみ。
なぜなら当時の UO は、オリジン公式ページにある「オンライン・マニュアル」が説明書代わりだったからです。
しかし、アメリカのオリジン公式ページですから、全文英語でなに書いてるんだか日本人には意味不明。
つまり、当時はプレイヤーが自分ですべて手探りでゲームのプレイ方法を調べて行く必要があったのです。
それでなくても海外の RPG というのは難解で複雑、日本のゲームに比べわかり辛いので、まず何をすればいいのかが最初の壁でした・・・

で、色々と調べ、何とか最初のキャラの想定と序盤の行動を考えた所で、いよいよ本格的に Ultima Online をプレイする事にします!

サーバーは 「 Napa Valley 」を選びました。
これは回線の距離的な問題でアメリカ西海岸のサーバーが有利だった事と、NIFTY の「うるうる日記」に出てくる方々がみんな Napa でプレイされていたからです。
キャラスキルは 弓作り と 木こり を選択。 アーチャーを目指しました。
私は肉弾系キャラが好きではないのですが、UOの魔法はとにかくお金がかかるとどのHPにも書いていたので、弓を選択したのです。
あと、スーパーファミコン版のウルティマ4の最初の職業選択の占いで、何度やっても職業が「レンジャー」になってた、というのもありました。

キャラの名前は「TAO」にしました。
これは、当時はアメリカサーバーだったので、RPG風の横文字の名前をつけると日本人だとわかってもらえない、というのがあったのです。
だから文字も全部大文字です。
でもこの名前、どっちかというと中華系の名前で、おかげで香港や台湾の人によく英語で話しかけられてました。(^^;
また、これはあまり知られていないのですが、UO の NPC ベンダーとの取り引きウィンドウのレスポンスは、パソコンのスペックがモロに影響します。
当時の私の PC は NX でない 純PC-9821 の、しかも型落ち品だったので、このウィンドウのレスポンスは最悪で、名前のサインが書かれるのがすごく遅かったのです。
だから、長い名前だと他のプレイヤーと同時に秘薬購入やアイテム売りなどを行った場合、必ず負けるのがテストキャラでわかったので、名前を短くする必要があったのです。
(*もちろん当時の話で、今のパソコンでは大した違いはありません)
スタートの街は「Britain」。 初心者向きですからね。
そして、いよいよ私の UO 生活が始まったのでした!


が・・・ やはりうまく行きませんでした・・・
まず、最初に弓作りをしようとしたのですが・・・ 木の切り方がわからない!!
斧を装備してWクリックして木に使う、というのはわかっていたのですが、何度やっても切ろうとしません!
最初はスキルが低くて失敗してるのかと思ったのですが、それでも何度やってもあまりにも成功しない。
もちろんそれは、単にその周囲の木が全てすでに切られていただけだったのですが・・・
そんなもの、初心者の私が知る良しもありません。^^;
何度も切れない木に斧を使おうとし、全然ダメで途方に暮れてしまいます。
切ろうとした時、左下に何やらメッセージが出るのですが、英語なのでもちろんなんて書いてあるか読めません。
何度もやっているうちにたまに切れたりしたのですが、結局その日は切り方がわからず、弓作りはあきらめてしまいました・・・

私が切れない理由を知ったのはその日の夜の、プレイ後でした。
切ろうとした時に左下に表示されていたメッセージを書き留めていたので、それを英和辞典で解読したのです。
そしてやっと、切れる木と切れない木がある事を知ったのです・・・
それから以後、私が UO をプレイするかたわらには必ず英和辞典が置かれていました。
当時の UO では、それは必須アイテムと言えました。

戦闘も苦労しました。
最初に戦闘をしようとしたのは2日目、街の郊外にいた猫でした。
矢は予め買って30本ほど揃え、アーチャースキルなどを NPC から習い、それから挑んだのですが・・・ 撃っても撃っても全然当たらない!!
それもそのはず、「弓は止まって撃たないと当たらない」というのを知らなかったのです。 ^^;
ヒット&ウェイをしようとして常に走りまわっていたので、全然あたりません。
でももちろん、「スキルが低いから当たらないんだ」と勝手に思いこみ。
で、30本全て撃ち、当たったのは1発ぐらい・・・ ^^;
そして、弾切れ。 辺りには外れた矢が無数に転がってます。
それで今度は、それを1本1本拾いながら地道に一生懸命撃ちます。
すると、なぜかいきなり当たりはじめる。
そう、拾う時に止まるから、その時撃った分は当たるんですね。^^;;
で、やっと止まって撃たないといけない事がわかったのですが・・・
拾っている時にガリガリひっかかれるので、結局逃げてしまいました。
私の初戦は、猫に見事に敗北したのでした。 そして思いました。
「猫に負ける冒険者って、この先やっていけるんだろうか・・・」 ^^;

とまあ、こんな感じでまさに手探りでやってた訳ですが・・・
さすがに4日も5日も経つと慣れて来ます。
弓作りでの収入も安定してきて、戦闘も羊くらいなら勝てるようになりました。
(羊とヤギを間違ってボコボコになったりもしましたが・・・)

そして1週間ほど経ったある日、私はついに街の外に出てみる決心をしたのです!
「スカラブレイに行こう!!」
しかしそれは、とんでもない旅になってしまったのですが・・・

この続きは、また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その5、始めての冒険
  (前回までのあらすじ : PC買って、UO始めました)

私はUOを始めて1週間ぐらいの間はずっと、街の圏内から出ていませんでした。
なぜなら私は、「街から出るとたちどころにPKされる!」 と思っていたからです。

そして実際、それは間違いではありませんでした。
当時はPKへのペナルティーなどほとんどありませんでしたから、そこら中にPKがいるような状態で、特にブリティンの東と西の街道は通称「PK街道」と呼ばれており、毎日多数のプレイヤー、特に初心者が犠牲になっていたのです。

しかし、1週間もUOをプレイしてだんだんゲームに慣れて来ると、別の場所にも行ってみたくなるものです。
で、その日私はついに決心して、「ブリティンを出てスカラブレイに行ってみよう!」と考えたのでした。
目的地をスカラブレイにしたのは、ウルティマ4でレンジャーだった私は、そこがスタート地点だったからです。

さっそく、なけなしのお金で防具を買い、数十本の矢と弓を用意し、旅の支度を整えます。
そしてブリティンを後にし、いざスカラブレイへの旅へ!
街道を西へ進み、山間の道を抜け、いよいよガード圏外へと飛び出します!

ところが、そこでいきなり私が見たものは・・・
多数のプレイヤーの死体の山!! 明らかにPK後の現場です!
当時ブリティン西の三叉路はPKの多発地帯であり、ちょうどそこで大規模なPKが行われた後に出くわしたのです。
道に転がる何体もの死体と散乱する矢。
戦慄した私はすぐに街道から離れ、南の森の方へ逃げ込みます。
するとそこにも2体のプレイヤーの死体が!!
おそらく、私と同じ様にPKから逃れようと森に逃げ、ここで追いつかれて殺されたのでしょう・・・

ガード圏外の恐ろしさを痛感した私はさすがに帰ろうかとも思いましたが・・・
しかし、一度行こうと決心した事、いまさら引き返せません!
意を決してダッシュで西へ西へと向かいます!

しかし・・・ いくら街道を進んでもスカラブレイは見えない!

実は私はまだこの時、UOのマップの広さを把握していませんでした。
で、ドラクエとかファイナルファンタジーとかと同じ感じで考えていて、数分ぐらい走ればすぐスカラブレイにつくだろうとか考えていたのです。
しかし、走っても走っても町らしきものは見えません!
まだキャラが育っていませんからすぐにスタミナも切れ、いつPKが出現するかわからない街道を徒歩でゆっくり進むはめになります。
現在位置もよくわからないし、もう不安感 MAX!

しかし、しばらく歩き続けていると・・・
やっと立ち並ぶ建物が見え、町らしき場所に辿り着きます!
「やった! スカラブレイだー!」

すぐに私は宿屋を探し始めます。 が・・・ どういうわけか建物に入れない!
ぜんぜんドアが開きません。 たまに入れる建物があっても、店員も誰もいません。
完全なゴーストタウン状態。
不思議に思っていると、青ネームのPCの一団がやってきたので、「hi」と挨拶し、「Where is this?(ここどこ?)」とか、「Skara Brae?」とか聞いてみます。
すると、「ここはスカラブレイじゃない。スカラブレイはもっと北東の方だ
(英語)」との事。
そう、実は私はスカラブレイ手前の平地に建てられたプレイヤーの住宅地を街だと思いこんでいたのです。^^;

そして彼らはさらに、「ここからスカラブレイに行くのは無理だ。帰った方がいい」と言います。
「ムリ? なぜ?」と思いましたが、とりあえず自分で確かめてみようと、お礼を言って別れ、スカラブレイの方に向かっていきます。

しかし、そこで見たものは・・・
海峡と、桟橋と、そして「スカラブレイフェリー・休止中」とかかれた看板でした。

現在、スカラブレイは桟橋の船で「cross」と言えばすぐに大陸との行き来が出来ます。
しかし当時そんな便利なものはなく、スカラブレイは魔法以外では船かムーンゲートでしか行けない、孤島の街だったのです。
「そんなー! せっかくここまで来たのに〜!」と、桟橋の先頭に立ち、私は途方に暮れてしまいます・・・

でも、行けないものは仕方がありません・・・
しばらく後、またPKにおびえながら、再び通ってきた街道を戻り帰路につきます。
ところが・・・ 途中で道に迷ってしまいます!

スカラブレイからは東と南に街道が延びています。
で、東に行けばブリティンなわけですが、道を間違えて南の街道を通ってしまい、そのまま道は途中で切れ、森の中に迷い込んでしまったのです!

それでなくても現在位置が判らないのに、木と草しかない森の中に入り込み、そのままますます迷子になる事に・・・
「うわー! 帰れないぃ〜!」

動物さえ見かけない森の中を不安に駆られながら進んでいくと、なにやら大きな垣根のようなものが・・・
近づいてみると、まるで迷路の様になっています。
そう、ブリティン南西にある「大迷路」です。
でも、そんなものがあるのを知らない私はそれを見て思います。
「ダンジョンだっ!!」
ダンジョン=モンスターの巣窟なので、すぐ私はダッシュで逃げ、そこから離れるように森を進みます。 おかげでますます迷子になることに・・・
「とにかく西に行けばブリティンに付くはずだ」 と思い西へ西へと進みますが、まったく森が終わる気配はありません。

そのうち夜が来て、辺りは真っ暗に。
見にくくて歩き辛いので、とりあえず木を削って薪を作り、焚き火をして丸太に座り、なぜか途中に落ちていた酒瓶の酒を飲んで、そこで夜を明かそうとします。
すると突然、「ガオーーー!」という声と共に茶色い巨体が・・・  グリズリー!!
当時のグリズリーベアは赤ネームの強暴な動物で、PCを見つけると襲いかかっていたのです!
「うわー! 熊だー!」 とばかりにキャンプを捨ててダッシュで逃走!
と思ったら、ラグってしまいガジガジ噛まれて瀕死。 最悪だーー!(T-T

夜の森を走り続け何とか命からがら逃げ延びますが、ますます現在位置不明!
しかもこの時、実際の時間で深夜3時。
もう寝たいけど、こんな熊の出る森で貴重な防具を来たまま無理やりログアウトする訳にもいかない・・・

とにかく街へ! と思いながらまたひたすら進み続けます。
すると
(ゲームの)夜が明けた頃、森が途切れ、その向こうには街道が・・・
「やった! 道だ! 助かった、帰れるー!」
山で遭難した人が人里まで降りて来たかのごとく感動します! ^^;

で、道沿いにそのまま進んでいくと、やっと待望の街が!
でも、なにやらブリティンとは雰囲気が違う。 街が大きな壁に囲まれています。
他のウルティマをやっていた私は、それを見てそれがどこだか見当がつきます。
「城壁の街・・・ トリンシック!?」

実は私は、ブリティンを出発してスカラブレイ前まで行った後、間違って南の街道を進み、そこから森に入ってまっすぐ西に行って、迷路を見てからは南西方向に進んでいたらしく、そのままブリティンに帰るつもりでトリンシックに来てしまったのです。(^^;

でも、とにかく無事に街に帰れたことにかなり感激!
ひとしきり街を見てまわった後、宿屋を探し、安心してログアウト。
こうして、私の最初の旅は終わったのでした・・・

長い間UOをやっていますが、この最初の旅が、私のUOにとって最大の冒険だったと今でも思っています。
その頃はUOの世界の全てのものが、新鮮に見えていました・・・

こうして、意図せずトリンシックに流れ着いた私がその後どうしたのかは、また、いつか。


=ある、UOとそのHPのお話=

・その6、Newbie な時代
  (前回までのあらすじ : スカラブレイに行こうとして迷ってトリンシックへ)

ブリティンからスカラブレイに行こうとして迷子になった末、私はトリンシックに辿り着きました。
しかし、そこは始めてみるブリティン以外の街。
せっかくだからと言う事で、私はそこでしばらく生活しようと考えました。

で、さっそく近くの森で木を切り、弓を作ってお金を稼ぐ事に。
しかし、トリンシックは弓師には向いていない街でした。
弓は弓屋、道具屋、武器屋、鍛冶屋で売る事が出来ますが、トリンシックには弓屋も鍛冶屋もないのです。(鍛冶場は防具屋にある)
武器屋と道具屋はありますが、店員数が少なく、売れる数が少ない。
結局、弓を作っても全部さばききれず、その度に在庫が貯まっていく事になりました。
さらに、トリンシックの近くにはジャングルがあります。
で、私の当時のPCは・・・ ジャングルに行くと処理が激重だったのです!
もう、モンスターに襲われてダッシュしても、歩いてやってくるモンスターに平気で追いつかれたりするしまつです。
それで結局、私は翌日にはトリンシックを後にし、ブリティンに戻る事に決めました。

トリンシックからブリティンへは、一本道がつながっています。
これを辿れば迷う事はありません。
今回は死んでもいいように防具も置いていき、気軽にブリティンへと向かいました。
そしてその途中、私は1人のプレイヤーと一緒に進む状態になりました。

別に意図して彼と一緒に行っていた訳ではないのですが、たまたま同じ方向に
向かっていたため、彼と共に進む形になったのです。
で、彼はモロに日本人的な名前だったので、せっかくだから挨拶でもしようと
「hi」、「konnitiwa」と、英語とローマ字の両方で挨拶しました。
するとその後、彼が叫んだ言葉は・・・

「殺すぞ!!」 (ローマ字)

・・・私は、訳がわからず呆然としてしまいました・・・
彼はそのまま走り去って行きました。
「なぜそんな事を言われるんだろう?」、「なぜ彼はそれを言ったんだろう?」
私はそのまましばらく固まっていました。

正気に戻った私は、改めて、UOが殺人者や盗賊などの悪人が跋扈するゲームである事、日本人だからと言って安心できない事、名前が青いからと言って善人とは限らないことを思い知ったのです・・・

それから私は、しょっちゅうPKに襲われ、殺されるようになりました。
スカラやトリンシックへの旅で街の外に出るのにも慣れた私はガード圏外へ足を運ぶ事も多くなったのですが、当時は PK 行為に対してのステータスロスや殺人カウントなどのペナルティは全くなかったため、PKが非常に多く明らかに飽和状態な時代であり、ダンジョンなどではPKに会わない事の方が珍しいぐらいでした。
また、善悪(名前の色)もカルマのみで決められていたため、たとえPKして赤くなっても、しばらくモンスター狩りをしていると青に戻れたりしていました。
だから普段はPKをしなくても、邪魔な奴がいれば殺すというプレイヤーも多かったのです。

ブリティン周辺で木こりをしていた私も、幾度となくPKに襲われ、殺され、なけなしのお金やアイテムを奪われ、悪辣な言葉や汚い言葉を浴びせかけられました。
その度に、私のPKに対する嫌悪感も積もり続けていきました・・・


しかし、当時の私が死んだ最大の原因は、PKではありませんでした。
それは・・・ ラグ・コネロスです!

当時は日本サーバーなどというものはなく、アメリカのサーバーに日本から繋いでいましたから、日本プレイヤーの最大の問題は常に回線でした。
私はアナログ33.6Kモデムで地方在住でしたから、平時で Ping 300 Loss 3〜5%、テレホタイムには Ping 350〜400 Loss 5〜10%になっていました。
しかしこれは当時、特別悪い方でもありません。
まだインターネット回線やハードウェアが今の様に整備されていないというのもあり、みんなラグのなかでプレイしていたのです。
PKに襲われて死んだケースでも、逃げる途中でラグったというのが一番多かったりしました。

また、もっと死んだ原因が多かったのがコネロスやクライアントクラッシュです。
その頃の私は・・・ ファイヤーボールを撃たれるとUOがクラッシュしていたのです!
これはUOのバグとPC相性の問題の1つで、まだ当時のUOはシステム的に完成されていなかったため、こういうのもあったのです。
おかげで私にとって最大の恐怖がオークメイジ!
究極魔法クライアントクラッシュを使ってくる!^^;
出会い頭にファイヤーボールを1発撃たれたらそれで終了と言う、まさに死神だったのです。
そのトラウマで、今でもオークメイジには恐怖感があったりします。 ^^;

しかし、そんなこんなで死にまくりながらも、キャラは少しづつ成長していきました。
当時はスキルバーストなんてものはなく、スキルやステータス自体も今よりずっと上がりにくいものでした。
しかしそのために逆に、「今日はスキルが2.0も上がったぞ!」とか、「STRが3も上がった! だいぶ死ににくくなったぞ!」とか、少しのステータスアップが凄く嬉しかったりもしていました。
そして、キャラの成長記録を毎日つけていて、それをみて1人で楽しんだりしていました。
UOをRPGという点で考えると、当時の方が、RPGらしかったのかもしれません。
今でもスキルアップは簡単な訳ではないですけどね。

また、新たに裁縫や魔法なども覚えていきます。
裁縫はその頃は難易度制ではなく、今の様にインフレでもなかったので、動物やモンスターの皮を取ってそれを皮ブラにして売りお金を稼ぐのが一般的な資金稼ぎの方法でした。
そのため戦士はみんな裁縫スキルを持っていて、そこかしこでチョキチョキいってました。^^;
私も弓作りのかたわら、動物を狩って皮ブラ作りも始め、資金的にもラクになっていきました。
こうして、私は徐々にUOプレイに慣れていったのです・・・

そして、UOを始めて1ヶ月ほどたったある日、私のUOプレイに大きな変化が訪れます。
それは、友人のUO参加です。

そしてどうなったのかは・・・ また、いつか。

(後編に続く・・・)