Asuka UO三国志 呉伝 (建国編)
(注釈)
このお話は私がかつて所属していたイベント War ギルド、「UO三国志」の歴史と戦記です。
「UO三国志」は古代中国の戦記「三國志」を元にした Asuka の War ギルドで、三国志に登場する武将名のキャラクターを作り、ブリタニアを領土分けして、その領地を巡って毎週末にルールに従った戦争をした企画であり、まだ派閥戦争が導入される前から行われていました。
UO三国志は 1999年の初頭、T2A 時代の頃から始まり、UO:R、UO:TD を経て 2001年の春まで2年以上続きました。
そのため、話に出てくる戦いの内容は現在の UO の仕様とは異なる場合があり、また仕様の変化によって、前半と後半でも異なる点がありますのでご注意下さい。
このページは第1回から第5回までの記録で、1999年の T2A 時代が背景です。
この頃はまだ Trammel は存在せず、PK などが活発に活動していました。

(2002年8月記)
このサイトは UO のサイトで、その日記ページであるにも関わらず、UO 日記があんまりないのはどーいうことだ!?
という訳で、しばらくの間、私の昔の UOプレイ日記 を書いてみようと思います。
初期のUO、海外シャード時代の話は前に書いたことがあったので、今回は日本シャードが出来て以降の UO プレイ日記にしようと思います。
私は日本シャードが出来てまだ数ヶ月ほどしか経っていなかった頃から、Asuka でとあるギルドに参加していました。
そのギルドは・・・ 「UO三国志」。
「三国志」の設定になぞらえて、三国志の武将名のキャラクターを作り、「魏」「呉」「蜀」の3つの国のギルドに参加し、ルールを決めた RP 的な活動や戦争をやろうとしたギルドです。
2年近くに渡って活動し、最大時には100人規模の War も行った、Asuka シャードの大型イベント War ギルドです。
これは、ブリタニアの世界に、三国志の浪漫と戦乱を再現しようとした男達(と若干の女達)の物語です・・・
(これは「三国志」を元設定にしたお話ですので、三国志を知らない人にはよく解らない内容も出てくるかもしれません・・・ 予めご了承下さい)
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= UO三国志戦記=
講釈 其之壱、 桃園の AsukaBBS の誓い
1998年10月末日、日本シャード Asuka と Yamato が誕生しました。
それから数ヵ月後の 1999年3月から、この話は始まります。
UO はまだ UO:R よりずっと前の混沌とした時代、まだ日本語サポートさえ満足でない頃のお話です。
Asuka の中心的な BBS、Asuka BBS で、ある人がこんな投稿をしました。
「俺達3人は劉備、関羽、張飛としてここブリタニアで三国志のロールプレイを行おうと思う!
魔法なんてものは禁止! 武力のみでこの世界で戦っていく!
だれか他の三国志の武将として俺達と戦おうと言う者はいないか!?」
それは当初、大型企画をやろうとしたものでも何でもなく、単に仲間募集をしただけの投稿でしたが・・・
それに当時、Asuka で有名だったある PK プレイヤーが答えます。
「よし、俺は徐晃として魏の国をやるぜ! 誰か仲間になるヤツはいないか!」

彼が有名な PK だった事もあってか、それに対し次々と PK達 のレスが付きます。
「じゃあ俺は張遼をやるぜ!」 「じゃあ俺は許チョだ!」 「蜀の国で黄忠をやるぞ!」
始めのうちは PK の参加者が多かったのですが、「三国志」という知名度の高い題材である事と、「魔法を廃した戦い」というのに引かれ、それ以外のプレイヤーの参加もどんどん増えていきます。
「対人戦やった事ないけど、夏侯惇で参加したいです!」
「魔法で瞬殺の戦いには飽き飽きしていた。 俺も武将として参加するぞ!」
(*当時は武器の攻撃力が弱く、マナの回復に防具の制限もなく、スペシャルアタックなどもなかったため、対人戦もモンスター戦も魔法が有利でした)
さらに、最初の投稿者が 「俺達の知恵袋となる軍師も募集する! 軍師はちょっと魔法を使えてもいいかな?」 という投稿をしたため、三国志を彩る内政官や軍師として参加する人も出始めます。
「軍師
司馬懿で魏に参加する!」
「法正で蜀に参加します。戦いはできませんが、補給でお役に立てると思います」
最初は蜀と魏の国ばかりでしたが、ある商人のプレイヤーが三国志の3つの国の1つ、「呉」の国も建国します。
「対人戦の経験は無いが、孫策として呉の国を建国する! 共に戦う者はいないか!」
・・・こうして、三国志関連の投稿は図らずも巨大ツリーとなっていき、そのうちそれぞれの国が個別に武将の募集を行い始め、対人戦経験の有る無しに関わらず、多くの人が参加する大型企画になっていきました・・・
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一方その頃、私はちょうど UO の倦怠期に入っていました。
その年の正月にアカウントハックを受け、全てを失ってUOへの気力が一気に失せたのです。
細々とやってはいましたが、アカウントハックのショックでアイテムなどへの執着心もなくなり、特に目的もなく、ほとんどブリ観の更新のためだけに UO をやっているようなものでした。
そしてその頃、私はブリ観の中心コーナーの1つとしてイベント紹介ページを作っており、積極的にプレイヤーイベントなどを見に行っていました。
そんなある日、Yamato で「Yamato 大戦」と呼ばれた大規模なイベント的 War が行われます。
それは参加者100人以上、2陣営に分かれ勝敗のルールを決めて行われた大戦争で、UO と、そしてゲームにおける史上初の 「100人以上が同時参加の対戦ゲーム」 であった事は間違いありません。
私は元々格闘ゲーム好きですし、「対人戦」には興味があって常々やってみたいと思っていましたが、PK や PKK には全く興味はなく、やりたいとも思いませんでした。
いきなり襲った襲われたの戦いはやりたくありませんでしたし、他人に迷惑をかけるような事もしたくなかったからです。
しかし、1対1の Duel は専用キャラの作成が大変ですし、回線やPCの問題もあり、テクニックにも自身がありませんでした。
ただ、一般の War にも参加したいとは思いませんでした。
当時の War は人の混雑する時間帯に街中の銀行前で、人の迷惑も顧みず平気で行われたりしており、その事を非難されても、「お前らの方がうざい」 「邪魔ならお前らがどっかいけ」というような有様で、それは Yamato大戦でも例外ではなく、常に白い目で見られていたからです。
しかし、Yamato大戦 の大規模な War を見ると、「やはりUOで一度 War を、できればルールのある大規模な War をやってみたい」と思うようになりました。
そんなある日、Asuka BBS で三国志の募集ツリーが目に止まります。
そのツリーは大量の参加者を引き込んであっという間に大きくなっていきました。
自分と同じく、対人戦未経験者も多く参加しています。
なにより私自身、三国志が好きで、吉川栄治の小説も横山光輝の漫画も全て読んでおり、光栄の三国志シリーズもほとんどプレイしていました。
ですが、もっと私が注目したのは、それが 「三国志のキャラで」 「三国ギルド内で」 「魔法を廃した戦いを」 と言った、ルールのある戦いをしようとしていた事でした。
そして私は思いました。
「このギルドなら、人に迷惑をかけない War が出来るかもしれない・・・」
こうして私は、「呉」の国に文官として参加する事を決めます。
そしてここから、私の三国武将として UO が始まったのです・・・

= UO三国志戦記=
講釈 其之弐、 停滞と迷走
Asuka BBS が元で始まった三国志を題材としたロールプレイ War 企画「UO三国志」、しかしその運営はいきなり暗礁に乗り上げます・・・
元々 UO三国志 はきちんとした企画を元にメンバーが募集されたものでも何でもなく、半ば自然発生的に生じた集まりです。
そのため大まかに何をやるかは決まっていましたが、細かいルールはこれからの段階であり、すぐにルールに対する各人の思惑の違いが表面化し始め、「実際にどうするのか」の議論が進まなくなってしまったのです。
特に「魔法」の扱いは大きな論争になりました。
元々「魔法を廃した戦いを」としてスタートした UO三国志 ですが、最初に三国志の募集をした人が「軍師も募集する! 軍師は少し魔法が使えてもいいかな?」と言っていたため、すでに多くの文官(メイジキャラ)が参加しており、いまさら魔法の完全廃止は出来ませんでした。
しかし、「じゃあどこまでの魔法は許可するのか?」で文官と武官(戦士キャラ)の間で激しい議論が起こり、特に戦争時以外での「リコール」の扱いについては全く平行線のまま、議論が進まない状態となってしまいました。
このルール設定の不備が、三国志の運営を大きく遅らせる事になります・・・
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しかし、全体の運営が進まない一方で、それぞれの国は始動に向けて活動し始めました。
いち早く魏の国が曹操を中心として建国を宣言し、それに続いて呉もギルドハウスを設置して建国を宣言、しばらく後に蜀もその成立を発表します。
が・・・ 私の所属していた呉の国は対人戦の経験者が非常に少なかったため、戦争といってもどうすればいいのか解らない人が多数。
そのため対人戦経験者を中心に、「錬兵」と呼ばれた軍事訓練を定期的に行う事になりました。
そんな中で、私も BOX(一人を囲んでボコボコにする戦法)や集団戦での動きなど、戦争の初歩を教えて貰ったりしたのですが・・・
そんなある日、呉の君主「孫策」が作戦BBSで招集をかけました。
「本格的な軍事訓練を行う! 当日参加できる者は出来るだけ参加してくれ!」
と、言う訳で、私も含めてその当日20数人ほどの呉の武将が集合。
それを2つに分け、本格的な紅白戦を行う事になりました・・・
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[ 呉軍錬兵 紅白戦 ]
まだUO三国志のルールは明確に決まっていなかったので、暫定的にルールを決めて戦う事になりました。
殿(孫策)は「兵糧」としてブタの丸焼きを用意しており、それを本陣に設置、大将が死亡するかこのブタの丸焼きが奪われたら負け、という事になりました。
これは三国志の設定を再現したものですが・・・ 大将が逃げ回って勝敗がつかなくなる事の防止の意味合いもあります。
他は、武官は魔法禁止、文官は武器装備と攻撃・召還・移動・復活魔法の禁止、毒の全面禁止、などでした。(当時は包帯で毒治療ができなかった)

赤組大将は孫策、私もこの赤組に参加。 他に対人戦経験豊富な甘寧などがいました。
白組大将は、同じく対人戦経験豊富な張昭でした。

IRCをそれぞれの組に分け、作戦会議後・・・ いよいよ戦闘開始!!

赤組は半島の先の住宅密集地に兵糧を置き、その前面で伏兵(Hiding)して敵を待ち受ける作戦を取ります。
陣形っぽいのを組み、大将以外全員ハイドで隠れて敵の接近を待ちます・・・
5分経過。 敵は見あたりません。 全員伏兵で待ち続けます・・・
10分経過。 敵は見あたりません。 全員伏兵で待ち続けます・・・
15分経過。 敵は見当たりません。 だんだんみんな飽きてくる・・・ ^^;;
殿(孫策)は甘寧に偵察を指令、甘寧が単独で敵の居場所を探りに行きます。
20分経過。 敵は見当たりません。 殿、IRC で連絡。
孫策:「敵はいたかー?」
甘寧:「まだ見つかりません。」
25分経過。 いまだ敵影は見当たりません。 そろそろみんな暴発寸前・・・ ^^;;;
孫策:「敵はいないかー?」
甘寧:「まだいません・・・」
30分経過。 甘寧より IRC で連絡。
甘寧:「殿」
孫策:「なんじゃ?」
甘寧:「白組の兵糧を発見、食べました・・・」
孫策:「そうか。」
孫策:「勝ったぞ」
みんな:「 わーい。 やったぁ。 」
「・・・・・・」
「なんじゃそりゃ〜〜〜〜〜〜!!!」
ついに暴発する赤組!
「もうだめだ! 俺は突っ込む!」 「まて! はやまるな!」 「俺はもう限界だぁ〜〜!!」
暴走寸前の赤組を制しつつ、殿が全体 IRC で連絡を入れる!

「こりゃー! 白組! なにやっとんじゃーー!」
すると・・・
張昭:「まいごになってます〜」
白組武将:「ここどこー?」
白組武将:「帰れないよー」
白組武将:「あっ、陸遜がいないー」
白組武将:「なにーっ!?」
張昭:「さがせー」
白組武将:「あっ、あんなところで死んでる〜」
白組武将:「あっ、モンスターだー!」
白組武将:「ぎゃぁ〜〜〜〜」
それを聞いた孫策がしみじみつぶやく・・・
「なんか へなちょこ・・・」

そして、「えーい、こうなったら兵糧とかもういいから、献身の神殿で待つから来い!!」
こうして、赤組は献身の神殿に移動し、白組を待つ事に。
しかし・・・ 例によって来ない。
全然来ない。 待っても待っても誰も来ない。
また殿が連絡を入れる。
「白組! 誰でもいいから早くこーーーい!!」
するとしばらく後、張昭が一人でダッシュしてきて・・・
「お待たせしました。」

すると、殿が一言。
「殺れ」
一斉に襲いかかる赤組!!
張昭:「えっ? あっ、ちょっと、まっ・・・ ああああ〜〜〜〜!!!
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こうして、呉軍 初の本格的軍事訓練は、何の役に立ったのかよく解らないまま終了したのでした・・・
つづく。

= UO三国志戦記=
講釈 其之参、 大将の器量
元々が自然発生に近かったため、その後のルールの制定がまとまらず、なかなか進展しなくなってしまった UO三国志。
相変わらず、ルール会議では各人のそれぞれの考えの違いが表面化してしまいます。
しかし、「まとめ役」の登場によって、やっとルールが決まり始めます・・・
最初にまとめ役となったのは高い統率力を持つ呉の君主「孫策」でした。
彼は雑多な状態のルールを編集し、決まっている事と未決定の項目を区別し、意見交換でのまとめをする様になります。
そしてやっと UO三国志 の基本ルールが決まっていきます。
この頃決まったルールは、日時を決めて集まって行う領土争いの War を主体とする事、武官は魔法一切禁止、文官は攻撃・召還魔法禁止、毒の禁止(武官が解毒魔法を使えず、包帯での毒回復もまだなかったから)、窃盗の禁止(シーフ対策が面倒になるから)などでした。
そんな中、私もルールに関して次の提案をしてみました。
「三国志のロールプレイをするにあたって、民の反感を買うような事があってはならない。 またこれだけ大きな企画になると周囲の協力も必要になる。 そこで、三国キャラでの PK やシーフ行為、街中 War など、人の迷惑になる行動は禁止にするべきだ」 というものでした。
そしてこの案は多くの賛成によって、すぐに可決されます。
この時、私は心からこの War に参加して良かったと思ったのでした・・・

一方、各国ではこの頃から、それぞれの運営方法やタイプに違いが現れてきます。
呉は孫策の統率の元で非常にまとまっており、早い段階で拠点の確保や補給体制が整えられ、定期的な軍事訓練を行い、軍事指導 甘寧、補給総括 周瑜、人事担当 諸葛瑾など、それぞれの役割分担も明確に決められていました。
その「きっちり」とまとまった様子のため、当時は呉が三国のバランスを壊しているぐらい強すぎるとさえ言われていました。
(実際にはそんな強くなかったのですが・・・)
一方、魏は当初「曹操」を中心として建国・運営されようとしていたのですが・・・
この曹操はいまいちアクティブ率が低く、また War ギルドを運営できるほどの統率力もなかったため、個人としては人気はあったのですが、明確な運営力に乏しく魏の体制作りは遅れてしまう事になります。
その後、曹操の姿は完全に見えなってしまいますが・・・
代わりに、企画力と運営力に優れた 賈ク、対人戦と戦争経験の豊富な 郭嘉、元PKKであり ほとんどの生産スキルが GM
(これは当時かなり凄い)の 司馬懿 の3人、通称「魏文官'S」が中心となって魏の運営を始めるようになり、やっと体制が整うようになります。
結果、魏は呉の様にキッチリしている訳ではありませんが、メンバーがナチュラルに共同し、いざという時の補給や運営体制はしっかりしている、と言った感じの国になっていきます。
この各国の性格には、魏には対人戦経験者の参加者が多く、呉には一般/生産者の参加者が多かった事、また元々の三国志の物語において、魏が攻撃的、呉が内政的な国である事も影響していたかもしれません。
その一方で、完全に遅れてしまった国がありました。 「蜀」です。
実は、蜀のトップメンバーであり三国志の元発言をした創始者でもある 劉備、関羽、張飛 の3人は、このような大規模な War ギルドをやろうとは思っていませんでした。
彼らは本当は・・・ 単に個々の武将で三国志のロールプレイがやりたいだけだったのです。
しかし、三国志は元々戦乱の物語。
参加者の多くは War メインの企画として進行を始め、その結果、それは彼らの考えていたものとは全く違うものになっていきます。
そのため彼らは・・・ ついに蜀の運営を拒否し始めます。
蜀の武将が補給体制の整備の提案をしても無視し、人材募集の要請をしても却下し、最初に彼らが思っていた「魔法を廃した戦い」を押し通して蜀は魔法完全禁止と言い始め、戦争への準備をしようとした武将を「そんなもん必要ない」と突っぱねます。
しかし、それでも彼らは 劉備であり、関羽であり、張飛であったため・・・ 蜀の武将達がそれを無視するわけにもいきません。
結果、蜀の内部は混乱し、そのうち劉備3兄弟は全く姿を見せなくなり、指導者不在になった蜀はますます運営が停滞、それは UO三国志 の新しい問題になってしまいます・・・

その後、リアルの仕事の都合と、呉と三国全体の運営の両立は難しいとの事で、孫策は三国志全体の運営から降りますが、代わりに 賈ク 率いる 魏文官'S がまとめ役となって共同的な運営が行われ、三国志は徐々にそのスタイルを整えていきます。

結局、企画を進行しようとする場合、どうしてもまとめ役となる指導者が必要となり、そしてその指導者の「統率力」や「運営力」も必要になる事を、この頃の私は痛感していたのでした・・・
全ての人の意見を完全に統一してから動こうとすると、何時まで経っても動けません。
人数が多いほど、誰かが先に立って進まなければ進展しにくいのかもしれませんね。
しかし、リーダーに協調性がなかったり、プランニングが弱かったりしたら、またそれはそれで大問題である訳ですが・・・
この頃の三国は、まさに「誰かがひっぱっていた」企画であったと言えました。
各国の様子は君主や運営チームの統率や運営力がモロに反映されていたからです。
魏・呉・蜀 の3つの国がほぼ同時スタートで平行して運営されていたため、それぞれが比較対照になり、それでその差が解りやすかったのかもしれません。
組織や企画というものの難しさも、UO三国志 でちょっと垣間見た気がします・・・
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と言う訳で、ちょっと 三国志 とは無関係ですが、ここで ある方が組織作りに必要とされる役割の種類と分担を述べられていたものがあるので、ちょっと紹介したいと思います。
=組織作り=
組織に必要なことは役割分担ですが、大まかに次の役割が必要です。
・事務局長…カリスマ的存在、人集め
・副事務局長…実務統括
・対外交渉担当…主に他のグループや組織などとの交渉にあたります
・会計監査…会費・経費集計/開示
・出版担当者…会報編集、スポークスマン
・技術担当者…テクニカル全般
(・分科会代表…テーマごとに指導や勉強会などを実施)
最終的に、「呉」には確かに上記の担当者がそれぞれ存在していた感じになりました。
やはり一番大切なのはリーダーな訳ですが、しかし企画の運営にあたって一人だけががんばっている状況では、その人の負担が大きすぎるし、その人が消えると一気に企画倒れにもなり兼ねません。
それぞれの役職が機能的に動けるまで持っていくのはかなり大変かもしれませんが、これが有機的に働くと、やはり色々な意味で強いのかもしれませんね。

= UO三国志戦記=
講釈 其之四、 小覇王の進軍
カク カクカ 司馬懿 の 「魏文官'S」 を中心に全体運営が行われ始めた UO三国志、しかし大きな問題がまだ残っていたままでした。
「リコールをどうするか?」です。
戦争時はもちろん禁止です。 では、平時は・・・?
文官は「特に禁止する理由は無いのだから良いだろう」と言いますが、武官は魔法スキル 0 なので使えないし、「元々三国志は魔法を廃した楽しみを、としてスタートしたんだから、リコールはダメだ!」と反論、議論は平行線を辿ります・・・
「補給の円滑化にも必要だ!」 「じゃあゲート使え!」
「自宅と拠点都市が遠い人はどうする?」 「そのためにギルドハウスがあるだろう!」
という感じで、相変わらず話がまとまりません。
素早い集合に必要との理由でゲートは許可となりますが、リコール問題は全く解決の糸口が無いまま、UO三国志の進展の妨げとなり続ける事になります・・・
そして基本ルールが決まらないと、実際の運営スケジュールの段階にも移行できません。
そしてこの長い停滞が、徐々に一部のメンバーのやる気の減退につながって行きます・・・
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さて、その一方・・・
三国それぞれの国では、ギルドとして個別の運営が続けられていました。
呉の国でも、新しい補給庫として小さい家を確保して 「やった〜、新しい拠点だ〜」とみんなで喜んでいたら、その近くのでっかい城が呂蒙の個人の自宅だったとか、呉の国の国色が「朱色」と決まり、孫策がギルドハウスに朱色で飾った内装を施したら、その晩に張遼が忍び込んで来て全部まっ青にして逃げたとか、色々ありました。^^;
そんなある日、どういう いきさつでそうなったのか解りませんが・・・
蜀と、対戦形式の合同軍事訓練を行う事になります。
これまでのところ遭遇戦や個人交流以外で、国同士でイベントをやったり、日時を決めて戦いをした事はなかったので、これが三国ギルド初めての合同イベント&対外戦となります。
双方の国で日時を話し合い、戦地を決めるための視察が行われ、開戦の数日前から準備が進められてきました。
そして、蜀と呉の双方で「対外軍事訓練を行う! 用事がない者は参加して欲しい!」との触れが出され、当日、参加者がパプアの街に集結したのです・・・
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[ 合同軍事訓練 蜀 VS 呉 ]
当日パプアに集まったメンバーは両軍合わせて 30人強 ほど。
しかし蜀は内部の混乱の影響もあってこの頃まだ人数が少なく、参加者は10人ぐらいだったので、一部 呉の将兵を足して人数を調節、ほぼ同数にして実施される事になりました。
ルールはこれまでに決まっていた三国志のルールに従いますが、兵糧は置かれず、総大将の撃破のみで勝敗をつける事になりました。
戦闘場所は T2A の東の海の向こうにある僻地、一般に「Teraの聖地」と呼ばれる場所です。
当時は各UO BBSで迷惑な街中 War が大きな問題となっていたため、出来るだけ一般の人に迷惑をかけないようにとの事でここが選ばれました。
予め用意された開始地点へのルーンを使い、文官のゲートで各武将が戦場に集まります。
1時間ほどが経ち、点呼と準備、全ての武将の移動が終了した後・・・
さらに1時間の作戦会議の時間が設けられました。
会議に1時間と言うと長そうに思えますが、実は作戦をあれこれ議論していると、すぐに経ってしまう時間であったりもします。
そして私は個人的に、戦術について意見交換するこの作戦会議の時間がすごく好きでもありました・・・
その作戦会議で、呉は部隊を2つに分けて進軍、蜀軍を挟撃する作戦を取る事になります。
もし片方だけが先に敵と戦闘に入ってしまうとそちらがピンチになる作戦なので、スピードが重要な作戦でもあります。
本隊の指揮は総大将の孫策、別働隊の指揮は甘寧が務めます。
私は孫策の部隊に編入されました。
そして1時間が経過、作戦会議は終了。
両軍の大将を発表し、ルールの確認の後、IRC で戦闘開始のカウントダウンが始まり・・・
いよいよ開戦!!

本隊と別働隊、共に開始と同時に作戦で決めたルートで蜀の本陣を目指します!
一方の蜀軍はその頃、初期本陣の近くで待機しつつ、斥候を放って相手の動きを偵察しようとしていたそうです。
孫策の本隊は別働隊に遅れないよう、T2A ジャングルの狭い道を突き進んでいきます!
すると前方に、一匹の大蛇が・・・ こんなものに手こずっているヒマはありません!
道の真ん中に陣取っている邪魔な大蛇を片付けようと、先頭を走っている孫策がすかさず斬りかかります!
そして次の瞬間・・・ 「おふぉおおぉぅ〜〜(断末魔)」
「!!!!」
ビビる呉軍!! 孫策戦死! あまりの出来事にみんな固まってしまいます!
って言うか、大将が死んだからもう負け!
「よくも殿を!!」 「大将の仇だ!」 我に返った武将達が一斉に蛇に襲いかかります!
しかし次の瞬間・・・ 「うぉほおおぅ〜〜」 「おふぅおぉ〜〜」 「うぉふうぅぅ〜」
バタバタ倒れる呉軍! そう、それはただの蛇ではなく・・・ 銀ヘビだったのです!
当時、銀ヘビはかなりレアなモンスターで、その強さはもちろん、その存在さえ知っている人が少なかったのです。
しかも灰色ですから、戦闘状態になると普通の大蛇と区別もつきません・・・
おまけに三国では毒禁止だから、誰も解毒ポーションとか持ってない・・・
ヘビ一匹に次々殺されていく呉の武将達! 前線はあっとういう間に大パニック!!

一方その頃・・・ 私は部隊の最後尾にいて、前に追い付こうと一生懸命走っていました。
当時の私のパソコンは旧型のPC9821(回線もアナログ 33.6k)、これで T2A のジャングルを走るのはかなりムリがあり、一人部隊から遅れていたのです。
しばらく走り続け、やっと前の部隊に追い付いた私がそこで見たものは・・・
「おおおおっ !? 何だコレは !? 疫病か? 呂布大暴れか? かまいたちの夜か !!?」
重なるように倒れている呉の兵士達!
そしてその惨状の中央で、灰色の物体が不意にこちらを向く・・・
「銀ヘビっ!!」
その強さを知っていた私はすかさず回れ右、後方にダーッシュ!
の、つもりでしたが・・・ 私のPC&回線で銀へビから逃げられるハズが無い。
あっという間に追い付かれ、カプ。 D毒。 「おふぅぅ〜〜〜」
War ギルド 呉軍 本隊、ヘビ一匹で全軍壊滅!!

さてその頃、呉の別働隊は・・・
敵本陣に到着し蜀軍と遭遇! いよいよ戦闘開始という所でした!
そこへ、孫策が申し訳なさそうに IRC で連絡。
「えー・・・ 呉軍総大将 孫策、ヘビに殺されました。 戦闘終了です。」
その場にいた呉と蜀の兵達は、どうしていいか解らず、目の前の敵と戦う事も出来ず、気まずーい沈黙の中で凍りついていたそうです・・・

その後、呉蜀全軍はパプアに撤収、帰還した将兵を前に、孫策の次の言葉を総括として、この軍事訓練を終えたのでした。
孫策:「ヘビには気をつけよう。」
一同:「・・・・・・」
孫策:「解散っ!!!」
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準備に数日を費やし、1時間の移動と1時間の作戦会議の後に開戦された三国初の対外練兵は、開始5分であっさり終了したのでした。
しかし私はこの後、しみじみと次のように思ったのでした・・・
「孫策が戦争開始直後に毒を食らって死ぬ。
 すごく孫策をロールプレイしているじゃないかっ!」
・・・つづく。

= UO三国志戦記=
講釈 其之五、 死闘
使用魔法の制限など、様々な問題の議論で正式なスタートが遅れ続けていた UO三国志。
ついに目立った動きが無いまま3ヶ月が過ぎようとしていました・・・
そのため、この頃からメンバーの脱退が出始めてしまいます。
そのメンバーの多くはこのUO三国志に「戦乱」を期待して参加した人達であり、戦いたくても全然進展のないUO三国志に嫌気が差して来たのです。
1人、2人、3人・・・ だんだんとメンバーが抜け始めて行きます。
さらに、この停滞期にリアルの都合で抜けていく人も出てきます。
しかしこれはリアルの都合よりも、参加している事の魅力が少ないからというのが理由であったかもしれません・・・
そのためこの頃 全体の運営を行っていた 賈ク は危機感を感じたのか、この時期から頻繁にイベントを企画するようになりました。
模擬戦、合同訓練、テスト戦、一騎打ち大会など・・・
さまざまな催しが毎週行われるようになり、やっとこの頃からUO三国志が活発化し始めます。
このイベントでは色々と面白い戦いがあったのですが、今日はその模擬戦の1つの模様を書きたいと思います。
それは私が今までUOをプレイした中で、最も白熱した時間でもありました・・・
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[ 模擬戦  呉・西涼 合同軍 VS 魏・蜀・蛮族 連合軍 ]
巷が皇帝ゴルモアとその四天王の話題で持ちきりだった頃・・・
UO三国志でも模擬戦などを中心とする様々なイベントが行われていました。
そんなある日、賈ク が何度目かの模擬戦の実施を告知します。
「今週土曜日に Wrong 近くで模擬戦を行います。 奮ってご参加下さい!」
・・・そして当日、その参加者達が Wrong の南に集合したのでした。
その日集まったのは UO三国志に参加する 魏・呉・蜀・西涼・蛮族 から合計40数人ほど。
西涼は馬騰が建国した魏・呉・蜀の3国に次ぐ第4の勢力で、これは後に傭兵国としてUO三国志のルールに編入された国です。
蛮族は少数の傭兵部隊で後に呂布軍も加わり、これは後に個人単位の傭兵として UO三国志に参加する事になります。
参加者は同じぐらいの人数になるように、呉と西涼の合同軍と、魏・蜀・蛮族 の連合軍の2つに分けられました。

戦場は Wrong の南にある山の中の一本道。
他に迂回ルートもなく、最初から両軍の位置も近いので、正面からぶつかる以外にない地形です。
戦いの準備の後、それぞれの軍が初期位置につき、少しの作戦会議時間の後・・・
いよいよ戦いの火蓋が切って落とされました!!

作戦と言ってもこの地形ですから、大したものはありません。
武官が前に出て近接武器で攻撃、その後ろの武官が弓で援護、さらにその後方で文官が回復魔法とフィールド魔法で支援すると言う、ある意味 黄金パターンです。
道がそれほど広くないので両軍ともきっちり陣形を組んだ状態で戦闘が開始されます!
開始直後から矢が飛び交い、谷は火計(FF)の炎で燃え上がります!
真正面から両軍が戦っているので双方互角、激しい戦いが繰り広げられますが互いに相手を攻めきる事が出来ません!
片方が有利になって相手を押し始めても、フィールド魔法などで進撃が妨害され、逆に突出した部隊の退路が断たれたりしてピンチに陥ります!
ピンチになった相手をカウンターで押し込もうとしても、こちらもフィールドによって進撃が阻まれたり退路を断たれるため進みきる事が出来ません!
  
これが普通の War なら魔法の集中砲火や召還 or ペットの攻撃などですぐに突破口が開くのかもしれませんが・・・
三国志 War は戦士が中心の戦い、己の武器と弓が頼りです!
まだ武器攻撃力の低かった時代でもあり、戦いは長期戦の様相を呈します。

開始直後から激しい戦いが繰り広げられ、何人かの武将が倒れていきましたが、お互いに大きな損耗のないまま戦闘が続きます。

そして十数分ほどがたった頃 両軍が後退、このうちに双方共に部隊の再編成を行います。
そしてこの時、私は何気なく時計を見たのですが・・・ そこで驚愕しました。
私が十数分ほどだと思っていたここまでの戦闘時間は・・・
実は、もう1時間近く経っていたのです!
激戦の中で集中していたために完全に時間を忘れていたようですが・・・ しかし、1時間を10分少々にしか感じなかったという事は今までになく、この時の時計を見た時の驚きは、今でも鮮明に覚えています・・・
そして短い休みの後、再び戦端が開かれます。
しかし両軍とも激しい戦いを繰り広げながらも決め手に欠け、相手に決定打を与える事は出来ません。
UO内の夜明け頃に始まった戦いは、再び夜になり、さらに翌日の朝を迎えても続きます。
戦士は矢が尽き、包帯が無くなり、文官は秘薬が底をつき始めます。
しかしそれでも戦いは続きます・・・
私も倒れた文官の死体から秘薬を回収し、それも無くなり、他の生き残りの文官と余っている秘薬を交換しながら戦闘を続けました。
そしてその後・・・
魏の軍勢はついに物資が枯渇し、これ以上の継戦は無理と判断、最後に全軍での突撃を敢行する事を決定、一斉に呉の軍勢に総攻撃を仕掛けて来ました!
しかし呉の物資もすでに枯渇しており、それを防ぎきる事が出来ません!
私も秘薬の一部が完全になくなっており、フィールド魔法でそれを妨害をすることも、もはや出来ませんでした。

呉の防衛線は突破され、一気に魏の連合軍が呉の陣に乱入!
こうなると突破された側より 勢いのある突破した側の方が強い!
壊乱する呉軍に魏軍が一斉に襲いかかり、私も逃げ切れずついに戦死、その後呉の大将 孫策も討ち取られ、戦いは魏・蜀・蛮族連合軍の勝利で幕を閉じたのでした・・・

こうして、我が呉の軍勢は負けてしまったのですが・・・
この激戦の後、両軍で敵味方なく 「すごい戦いだったねー」 「面白かったねー」 「すごい良かったねー」 とみんなで言い合ったのを覚えています。
本当に白熱したすごく面白い戦いで、自分の参加したあらゆる戦闘の中で、最もベストの戦いだったと今でも思っています。
これ以上熱中したUOプレイは今までになかったし、おそらく、今後も体験する事はないでしょう・・・
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と、言う訳で、何かオチがありませんが・・・
つづく。
(攻防編に続きます)