Asuka UO三国志 呉伝 (決戦編)
(注釈)
イベント War ギルド、「UO三国志」の歴史と戦記の続きです。
このページでは第12回から、最終章の第15回までを記載しています。
UO の時代としては、2000年春の UO:R 導入直後から、UO:TD が導入された 2001年の春頃までの話です。
UO:R によって大幅にゲームバランスの変化した UO ですが、UO三国志は集団戦であったことと、攻撃魔法禁止などのルールがあったため、細かい点を除いてはそれほど大きな影響はありませんでした。
UO:R によって世界は Trammel と Felucca に分かれましたが、このお話は Felucca でのお話です。
(Trammel でもギルド War は可能ですが、キャラクター同士やフィールド魔法へのぶつかり判定がないため、戦術的に面白味がなかったためです)

(2002年11月〜12月記)
= UO三国志戦記=
講釈 其之十二、 三国鼎立
赤壁の大戦後、呉は陸遜の提案した魏を倒して蜀と天下を2分して統一を目指そうと言う作戦、「天下二分の計」を元に進攻して行きました。
しかし、事はそんなに甘くはありませんでした・・・
魏に戦力を集中し、次々とその領土を攻め落としていく呉でしたが、無視していた蜀に南方の領土を次々と取られてしまいます。
また、魏の方も窮地に立たされるとさすがに団結して防衛し、呉による魏の本拠地攻撃も失敗します。

そして魏は逆に、呉に対して反攻を開始。
呉に奪われた領土を奪還して行き、一方で蜀にも領土を取られまくっていた呉は逆に窮地に陥ります。
「天下二分の計」が始まってから約2ヵ月後、遂に形勢は逆転、呉の本拠地が蜀に攻められるに至ります・・・

さらに予想していた通り、ひたすら集中攻撃してくる呉に対して魏のメンバーは不信感を持ち始め、また戦争の日に準備をして戦場に行っても、毎回まともに戦ってもらえない蜀も、呉への不満をますます募らせます。
天下二分の計はこの時、完全に裏目に出ていたと言えます・・・
呉はその後、現状打破のため天下二分の計を一時中断。
最低でも本拠地周辺の領土は確保しておこうという事になりました。

それからまた2ヵ月後・・・ 領土争いの末、各国の領土は左のように落ち着きます。
魏は北西一帯を、呉は東部一帯を、蜀は南西一帯を支配下とし、各国が互いにそれぞれの国を牽制し合うようになります。

UO三国志はここに来て、「三国鼎立」の時代を迎えたのです・・・
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[ 魏 VS 呉  石亭の戦い ]
今日はそんな日の、ある戦争のお話を書こうと思います・・・
その日、呉には2つの戦場がありました。 片方は対蜀戦、もう片方は対魏戦です。
すでに「天下二分の計」が中断した後であり、その日の戦いは蜀の戦地の方が重要だったため、主力はそちらに集められました。
しかし、まだ魏に攻撃をし続けたいと言うのもあって、魏の側にも何人かのメンバーが振り分けられます。
私はこの日、対魏戦の方に加わる事になりました。
さっそく戦場に移動後、各人が戦争開始の準備をします。
この戦地の人数は全員で7人。 正直言って小勢ですが・・・ そこそこ戦える人数でもあります。
ただ、この日は新しく参加した人が3人もいたので、その強さが未知数でした。
で、準備をしていると、となりいた新参加の武将がいきなりこんなセリフを。
「あれ〜、鎧が着れないよー? バグってるー?」

そんなバグあったっけ? と思いましたが、確かに着れない様子。
他の人が別のプレートメイルを渡してみても、それも着れないらしい。
で、もしかして、と思ったので聞いてみました。
私:「いま STR いくつ?」
武将:「45 です」
私:「ああ、それじゃあ着れないねー。プレートメイルって装備するのに STR が 60 いるよー」
武将:「あ、そうなんだー。 バグかと思っちゃったよ」
私:「あははは〜」
なーんだ、STR が足りないだけかー。
・・・って、それってもしかして、作りたての新キャラじゃん・・・
新キャラで戦争って・・・(汗
で、「あぁ、7人しかいないのに、1人新キャラじゃ戦力的に辛いなぁ・・・」 とか思っていると、いきなりその横にいた人が・・・
「じゃあ、俺も着れないな〜」
「わたしもダメ〜〜」
なにぃーーっ!? ま、まさか・・・
私:「この中で新キャラの人、手を上げて〜〜」
新武将3人:「はーい」 「は〜〜い」 「わたしも〜〜」
・・・・・・誰だ! こんな片寄った部隊編成したやつは!!
全武将数7人。 うち、新キャラ3人。 残り4人のうち、私を含め2人が文官。
攻撃力のある武官は残り2人だけ・・・ ダメだぁ〜〜!!
新人の方が3人もいたので、戦力的にちょっと落ちるかなとは思っていましたが、まさかみんな作りたてのキャラだったとは・・・
とりあえず、表面的には「みんながんばりましょう〜〜」と言いつつ、私は自分自身の冥福を祈るのでした・・・(TT

その後、いよいよ時間となり、開戦! 戦争スタート!
新キャラのみなさんはとりあえず、1人は諸葛瑾が余分に持っていた革鎧を着て、残りの人は・・・ 服。(TT
兵糧を守る兵力もないので、とりあえず対人戦経験の豊富な太史慈を先頭に、慎重に魏の陣の方へ進みます。
しかし、しばらく進んでも全然敵が見当たらない。
たまに周辺を偵察をしたりしますが、それでも敵の斥候さえ見ない。
索敵(トラッキング)しながら進んでいるので、どこかで伏兵していたという事もないはず。
でも、いくら進んでも敵を見ないので、だんだん空っぽにしてきた自軍の兵糧が心配になってくる・・・
結局、敵は見つからないし、敵の兵糧の場所も特定できないので、一旦戻る事に。
そして、来た道をまた慎重に戻っていると・・・ 自軍の兵糧の少し手前で、全然別の方向からやってきた魏の武将と衝突!
実は魏の方もこの戦場は少人数で、まともに戦うと辛かったので、戦場を大きく迂回して相手の兵糧を狙う作戦を取っていたのです。
しかし呉が途中で引き返したため、ここで鉢合わせする事に!
すかさず呉の武将達が一斉に襲いかかる!!
あわてて魏の武将はダッシュで逃げる!
呉は見た目だけは7人いるので、それが一斉に襲いかかってきたらさすがにビビる!
呉軍、見事なハッタリ軍団。 ^^;;
が、必死で逃げまくる魏の武将を何人かが執拗に追いかけて行ったため、別の何人かが追いつけなくて はぐれてしまい、そこに別の魏の武将が襲いかかって来たため、まとまりがなくなって乱戦状態に!
何とか集合しようと呼びかけたりしたのですが、私自身、相手の武官から追いかけられていたので自分が逃げるのに必死! 集合どころじゃない!
で、こうなると各地で個人戦になるため、新キャラの皆さんはひとたまりもない訳で・・・
IRC に続々と入る死亡報告。 それを見た別戦地の誰かが叫ぶ。
「文官が2人もいるのに、何でこんなに死んでるんだ!?」

思わず私も心の中で叫ぶ。
「ムリに決まってるだろ、そんなも〜〜ん!」

(*当時は STR=MaxHP だったため、STR 45 の新キャラだと MaxHP も 45 だった)
と言う訳で、新キャラの皆さんはあえなく全滅・・・
しかし太史慈が敵を倒したと言う報告もあり、まだ勝てる見込みはあるかも。
とにかくこのままではどうしようもないので、再度集合しようと IRC で呼びかけ、敵に見つかって追いかけられながらも何とか諸葛瑾&韓浩の2人の味方と合流。
3人になったので、今度はこちらが追いかけてきた相手に逆襲!

しかし双方人数が少ないので攻撃力がなく、決定打を与える事が出来ないまま、その後もひたすら追いかけっこを繰り返すのみでした・・・
しかし しばらく後、呉の3人が魏の大将 曹休を見つけ、チャンスとばかりに追いかけ回していたときに・・・ 曹休が民家の壁際にいる時、諸葛瑾のパラライズがヒット!
チャーンス!!
すかさず接近して曹休の横を塞ぐ! 他の2方向も残り2人が素早く塞ぐ!
まるで練習してたかのような見事な連携で BOX(包囲)が完成!
さらに太史慈が駆けつけて BOX に参加、どこからともなくやってきたオーク3匹も BOX に参加!? ^^; しかも周囲に他の魏の兵は全くいない!
そしてそのままみんなで一斉攻撃、しばらく後ついに大将 曹休を撃破! 勝った〜〜!!

で、全体 IRC ですぐ勝利報告を行うと、魏の武将が一言。
「あと少しで勝てたのにー!」
・・・実は、魏の武将が近くにいなかったのは呉の兵糧を食べに行っていたからで、特に魏の司馬懿は兵糧の横でハイドし続けており、腹が減るたびにちょっとずつ呉の兵糧を減らしていってたのでした。
そして、呉が曹休を倒した時、呉の兵糧はすでに残り1つのみ・・・
実はギリギリの勝利だったのでした。

こうして、戦いには勝ったのですが、新キャラの皆さんには苦いデビューになった訳で・・・
まあ、新人の方も早いうちから参加して欲しいのは確かですが・・・
でもせめてプレートメイルぐらい着れるようにはなってて欲しいのが本音・・・ ^^;
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つづく。

= UO三国志戦記=
講釈 其之十三、 亡国と滅亡
それぞれの国が領土を3分割した状態で硬直した、三国鼎立の時代を迎えて以後・・・
UO三国志は戦略的に大きな動きはなくなりました。
呉は「天下二分の計」をまだ持っており、魏に攻撃を集中したい所でしたが、本国周辺の領土を落とされると攻めどころではなくなるのも解ったため、時には防御にも手を回す必要が出ており、魏に思うように攻撃を集中する事が出来なくなりました。
一方、魏と蜀も領土の拡大を狙って各地に進出しようとしていましたが、領土を取った矢先に出鼻をくじかれる、というような事が続き、こちらも一進一退の状況が続いていました。
結果として、毎週変動はあったにせよ、あまり大きな変化は見られないまま、UO三国志は戦略的な停滞期に入る事になります・・・
さて、この頃、私は毎週の戦争後に三国戦争日記を付けていました。
4ヵ月分ほどなのですが、埋もれていたその日記を、ここに公開しようと思います。
UO三国志・戦争日記 2000年6月〜10月

そしてこの日記は、10月の半ばで途切れていますが・・・
別にこれは、UO三国志が終わった訳でも、単に私がめんどくさくなった訳でもありません。
私はこの10月の半ばを持って、UO三国志を休止したのです・・・
その理由はリアルの都合でした。
私は早朝(というか深夜)からの仕事だったのであまり夜遅くのプレイはできなかったのですが、毎週日曜日は休みだったので、土曜の夜が戦争だったUO三国志への参加にはあまり問題はありませんでした。
しかし年末を控えたこの時期、急に仕事が忙しくなり、日曜日に休みが取れなくなって平日に交代制で休みを取る事になったのです。
そのため土曜の深夜に戦争が行われる UO三国志 には参加できなくなってしまったのです・・・
でも、本当の理由は・・・
この頃、なんとなく UO三国志 を休止したいような気分だったからです。
各国の関係は戦争が続く中でギクシャクしたものになり続けており、当初の「仲良く協力して戦争を」という理想も薄れ、IRC などでは他国の中傷も目立ち始めていました。
また、年末前のこの時期は、他の古参のメンバーもリアルの都合などで脱退・休止が相次いでおり、そんな中で私も一歩離れた所から UO三国志 を見てみたい気になったのです。
と言う訳で、10月半ばを持って私は呉の文官を休止、野に下る事になります・・・

しかし当然、私がいない後も UO三国志 は続いていきました。
そしてちょうど私が休止した頃から、硬直していた各国の状態に変化が現れ始めます。
領土拡大を狙って魏と呉の双方と戦争を繰り返していた蜀が、突然その矛先を魏に集中し始めたのです!
この時、蜀に何があったのか? 硬直した状態を打破しようとしたのか、呉が魏に攻撃を集中している事に気づいたのか、それとも蜀の内部で考え方の変化があったのか、その理由は解りません。
いずれにせよ、この蜀の突然の 「北伐」 によって、呉と蜀の双方から集中攻撃を受ける事になった魏は、たちまちのうちに窮地に立たされます。
そして呉は再び「天下二分の計」を発動、魏の本拠地に向かって執拗な攻撃を加え、そして 2001年冬、ついに魏の首都ブリティンが陥落する事になります。
他の領土もすでに攻め落とされていた魏は、唯一残っていたユーの地で最後の防戦を行いますが、ここも両国からの攻撃を受け、ブリティン陥落の翌々週、蜀によってこの地も制圧されます。
こうして、UO三国志 が始まって約2年、本戦が始まって約1年半の後・・・
魏の国は、ここに滅亡するに至ったのです。

魏の滅亡後・・・ 三国志の主要メンバーで今後どうするかの話し合いが行われました。
このまま2国で戦乱を続けるのか? それとも何かの区切り付けるのか?
そして会議の結果、残された2国による最終決戦 「三国統一戦」 を行い、その勝者を UO三国志 の最終的な勝利国とする事で合意します。
こうして UO三国志 は、その最後の瞬間へと向かっていく事になるのです・・・
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つづく。

= UO三国志戦記=
講釈 其之十四、  最終決戦・前編 黒幕
UO三国志が始まって2年近くになろうとしていた 2001年 初春の頃・・・
三国の一角、魏の国はついに滅亡しました。
魏の武将達は野に下り、天下は蜀と呉の2つの国で二分されます。
その後、三国志の主要メンバーと呉・蜀の話し合いの結果、最終決戦を行ってUO三国志の勝者である天下統一国を決め、その決着を付けようと言う事になりました。
魏が滅び本戦が終了した時点での最終領土数は、蜀が 10 、呉が 4 でした。
比率ではちょうど 5:2 となります。
これを両国の国力と考え、毎週 戦争を行い、最終的な勝利を収めるのに必要な勝利数を蜀は2勝、呉は5勝とし、これを先に満たした方が勝者となる事に決定しました。
そして最終決戦を前に、魏の武将の再仕官や、リアルの事情などにより休止していた武将の復帰などのため、数週間の間がおかれる事になります。
そして私は UO三国志 を休止中でしたが・・・
すでに年が明けて年末の忙しい時期も過ぎており、この UO三国志の終わりとなる最終戦にぜひ参加したいと思い、ここに復帰する事を決めます。
一方、魏の武将のほとんどは、かつての敵国の配下になるのを良しとする人は少なく、多くがそのまま在野から戦いを見守る事になりました。
僅かに参加を決めた人も、そのほとんどが傭兵国である「西涼」に参加することとなります。
こうして、いよいよ 2001年3月、UO三国志が始まってからちょうど2年の後・・・
最終決戦 「三国統一戦」 が始まる事になります・・・

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[ 蜀 VS 呉、 三国統一戦 第一戦、 蜀・残り二勝 呉・残り五勝 ]
いよいよ始まった三国統一戦、第1戦目。
私も4ヶ月以上休止した後の、ひさしぶりの戦争でした。
蜀と呉、共に参加者は約 25 人前後、それに西涼を加えて 60 人近くの人数での最終戦となりました!
が・・・ この第1戦目、最終決戦にも関わらず、その内容を良く覚えてません・・・ ^^;
とにかく確かなのは、呉がボロボロに負けたということです。
この戦いでは両国の兵士数は前述した通り双方 25 人ぐらいでした。
しかし傭兵国である西涼が蜀に味方したため、蜀の人数は 30 人以上になっていたのです。
しかもこの最終戦、西涼には魏の武将も何人か参加していたため人数はさらに増えており、その戦力はかなり大きなものとなっていたのです・・・
こうして、蜀はいきなり天下統一にリーチとなります。
ちなみに私自身もこの戦いで・・・
4ヶ月以上のブランクが響いてて、フィールド系など普段使わない魔法のマクロをど忘れてしてるし、敵に襲われたら「うわぁ〜〜っ!」ってなるし、薬とかの戦争用準備もすっかり忘れてるし、ぜんぜんダメダメでした・・・


[ 蜀 VS 呉、  三国統一戦 第二戦、  蜀・残り一勝 呉・残り五勝 ]
いきなりピンチの呉の国、その決戦第二戦。
しかし、この日の戦争も・・・ 良く覚えてません。^^;;
ただ覚えているのは、この日は呉が楽勝だったと言う事。
理由も簡単。 この日は西涼が呉に味方したからです。
UO三国志 のルールで、傭兵は2週連続で同じ国に雇われてはいけないというのがありました。
先週、西涼は蜀に味方したため、今週は呉が西涼を雇える番です。
と言う訳で、この週は呉が勝った訳ですが・・・ 私はこれにかなり不満でした。
この戦いは、長い本戦を戦い続けてきた蜀と呉がUO三国志の統一を巡って最後の決戦を行おうと言う場です。
にも関わらず、直接決戦に関連していない傭兵国である「西涼」の有無によって、全体の戦いが左右されてしまう・・・
最終決戦として、これでいいのかという感じだったのです。
そのため、「これっておかしくないですか!?」と、殿(孫策)に訴えたりしたのですが・・・
それを聞いて、殿が一言。
孫策:「それについては、考えがある」
この孫策の「考え」が、最終決戦の行方を大きく左右する事になります・・・


[ 蜀 VS 呉、 三国統一戦 第三戦、 蜀・残り一勝 呉・残り四勝 ]
決戦第3戦目、この日の戦いの準備は、すでに第2戦目の時から始まっていました。
第2戦目の終了後、孫策は呉の文官達を集めて指令を出します。
孫策:「次の戦い、決戦を左右する重要な戦いになる! 文官はそれに備え、1人でも多くの傭兵を集めて来てくれ! そのための費用はいくらかかっても構わん!!」
UO三国志には傭兵国である西涼以外にも、蛮族や呂布軍といった、個人単位で雇われて UO三国志 に参加している傭兵も多くいました。
そして彼らにも、「傭兵は同じ国に2回連続で雇われてはいけない」というルールは適用されていました。
第3戦目で西涼を雇う事が確実な蜀に対し、孫策はこの個人単位の傭兵をかき集めて対抗する事を考えており、そのために第2戦では第3戦目に備えて、西涼以外の傭兵を1人も雇っていなかったのです。
こうして、第3戦目が始まるまでの1週間の間に、特に呉の人事部長・諸葛瑾の活躍によって多くの蛮族や呂布軍などの個人傭兵が呉に集められます。
結果として、西涼に対抗できる数が集まった呉は、その兵力も頼りに第3戦目に臨む事となります・・・

戦いは入り組んだ地形の T2A の辺境地で行われました。
北に呉、南に蜀が布陣し、その間には正面の道を含むいくつかの小道がある地形です。
この最終戦では「兵糧」としてのブタの丸焼きは設置しないルールになっていたので、両軍とも明確な本陣はなく、大将を討ち取る事のみで勝敗は決します。
戦争前、両軍とも部隊を本隊と傭兵を中心とした別部隊の2つに分けました。
そして IRC で大将の確認が行われ、カウントダウン開始・・・
いよいよ開戦!!
開戦直後、呉は全軍でダッシュで前進!
両軍の中央に広がる広場の手前付近まで一気に進みます!
一方、蜀は本陣付近で構えたままあまり動かず、代わりに傭兵を中心とした別働隊を偵察もかねて先行させていました。

そして呉は広場手前の道で一旦停止、部隊を集結します。
その後、傭兵部隊を中心とした別働隊を中央にある広場の北側に布陣させると・・・
いきなり孫策が「本隊は西から迂回する! 続け!!」と叫けび、西側の小道にダーッシュ!
孫策は傭兵部隊をおとりにした迂回作戦を考えていたのです!
あわててその後をついて行く呉の武将達。
しかしここで、トラブルが発生!
実は孫策が西への迂回を号令する直前、広場にいた傭兵部隊と蜀の先行部隊が衝突、そのまま遭遇戦に入っていたのです!
目の前に敵が現れて戦闘状態に入ればもうそっちに夢中になります!
そのタイミングで孫策が命令を出したため、IRC でそれを確認できなかった武将が多数!
目の前で味方が戦っていれば近くの人はそれに加勢しますし、命令が行き渡らない状態となって呉の部隊は2分されてしまいます。
孫策は迂回路をしばらく進んだ後、集合をかけますが・・・ ついて来ている武将は10人弱。
蜀の本隊に突撃するには正直言って数が足りない。
しかし、中央広場も激戦中のようで、これ以上数が集まる様子もない!
で、こりゃまずいなーと思い、殿に「どうします?」と尋ねると・・・
いきなり孫策は「突撃!!」と叫んだかと思うと、蜀本陣に向かってダーッシュ!
ま〜じ〜〜! と思ったが、理由もわかる。
集まるのを待っていたのでは奇襲にならないからだ!

と言う訳で、あわてて味方にアーチプロテクをかけながらその後をついていく!
ほどなくして蜀の本陣に到着。 蜀の方も武将が中央広場の戦闘の応援に行ったらしく、本陣の人数は少ない。
孫策を先頭にした呉の将兵が一気に蜀本陣を壊滅させようと襲いかかりますが・・・
しかし呉の迂回部隊は人数が十分でなく、攻撃力のない文官の数も多かったため、相手になかなか被害を与える事が出来ない。
そうこうしている間に本陣危急の知らせを受け、中央で戦っていた蜀の兵士達が続々本陣に戻ってきて、それを追いかける形で中央にいた呉の兵士達もこの場所にやって来る。
そしてそのまま戦いの中心は蜀本陣付近に移り、乱戦状態に!
その後、その激しい戦いの中で・・・
蜀のカラーである緑のマントをひるがえし、白馬に乗って立派な鎧を着た蜀の大将、劉備の姿を発見!
一斉に呉の武将が BOX(包囲)にかかる!
それを防ごうと蜀の武将達も集まり、その周囲で両軍がダンゴ状態!
私も劉備を攻撃する武将をヒールで援護しつつ、少しでも劉備への援護の邪魔をしようと、相手の文官に手でパンチ!(文官は武器禁止)
そして、しばらくの激戦の末・・・ ついに断末魔の叫びと共に劉備戦死!
勝ったぁーー! すぐに各所で戦争終結が叫ばれる!
UO三国志のルールでは戦争の決着が付いたらすぐにそれを呼びかけ、戦闘を中止する事になっていたので、みんなで戦闘終結と呉の勝利を呼びかけます。
が、その最中・・・ いきなり IRC の全体チャンネルで、劉備が一言。
劉備:「え? オレ生きてるよ?」
・・・・・・じゃあ、誰コレ?  とりあえず、死体をぽちっとクリック。
「a corpse of (すごーくマイナーな武将の名前)」
・・・・・・ちっがぁ〜う!!
劉備だと思っていたのは、すごく立派な大将っぽい格好をしていた・・・ ただの一般武将。^^;
両軍に漂う気まずい空気・・・
IRC では最初に戦争終結を叫んだ人が「ごめんなさいごめんなさい」と平謝りしているが、誰もそれを非難する人はいない。
なぜならみんな、それを劉備だと思い込んでたから・・・ ^^;

で、その後、みんなで「どうしよう?」と話していて、私も蜀将の一団の近くにいたので、「これからどうします?」と尋ねたりしていると・・・
突然、その後ろにいた蜀の張飛が 「開戦!!」 と叫んだかと思うと、こっちにダッシュしてきてハンマーで一撃!
クリティカルだったらしくいきなり体力4分の1! うっわー、死ぬ〜〜〜!!
ビビった私は張飛にいじめられるザコ武将のごとくあわててダッシュで逃げる!
それを張飛がハンマー振りかざしてひたすら追いかけまわす!
で、大慌ての私はその状態で戦場を大きくぐるぐる逃げ回ったため、その様子を見た周囲の人は・・・
「なんだあれ? もう戦闘はじまってんのか!?」 「ええっ!? もう再開!?」

と言う感じで、そのまま各所でなし崩し的に戦闘状態に突入!
明確な再開指示もなく、しかも両軍が入り乱れている状態からなし崩しの戦闘再開ですから・・・
戦いはもう、さっき以上の乱戦状態に!
もはや統率も作戦も何もなく、完全なバトルロイヤル状態。
おまけにこれに巻き込まれて無防備な状態で蜀の武将が何人か死んだらしく、それが後に遺恨を残す事になるのですが・・・
しかし私はこの時、「私が原因の一端です」 とはさすがに言えなかった・・・ (--;;
結局その後、両軍の戦いは乱戦ながらも徐々に呉が有利になっていき、そして呉の呂蒙が戦場の片隅で今度こそ本物の劉備を発見。
すかさず追撃、討ち果たす事に成功し、戦いは呉の勝利で終わったのでした。
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こうして、ちょっと(?)トラブルがあったにせよ、勝敗は蜀1勝、呉が2勝となります。
しかし必要勝利数は蜀が2勝、呉が5勝のため、依然として蜀が統一にリーチである事には変わりありません。
しかしUO三国志最後の決戦は、まだもう少し、続いていく事になります・・・
つづく。

= UO三国志戦記=
講釈 其之十五(最終項)、 最終決戦・後編 覇王
UO三国志の決着をつけるため、蜀と呉の間で争われた最終決戦「三国統一戦」。
ここまで蜀の1勝、呉の2勝。
しかし最終勝利までに必要な勝ち数は蜀が残り1、呉は残り3。

交互に双方の陣営に参加する傭兵国 「西涼」 が戦局に影響を及ぼす中、いよいよ戦いは決戦第4戦目に突入しようとしていました・・・
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[ 蜀 VS 呉、 三国統一戦 第四戦、 蜀・残り一勝 呉・残り三勝 ]
蜀の一勝の後、呉の二連勝で迎えた統一戦第4戦目。
しかしこの日の戦いは・・・ あっさりと勝敗がつきました。
第一戦目に蜀に味方し、以後 「傭兵は2回連続で同じ国に雇われてはならない」というルールに沿って双方に交互に味方してきた傭兵国 「西涼」。 今回は呉に味方する番でした。
そのためか、不利になる蜀はこの戦い、最初から捨てて来ていたのです。
蜀はあと1勝で最終勝利となるため、この日は落としてしまい、西涼を雇って戦える次の第5戦目で全ての決着をつけようと考えていたようでした。
おそらく蜀では、事前に「次の戦争は無理に出なくていい」みたいな連絡が出ていたのでしょう。
参加者は20人に満たない数で、西涼を含めて30人近くいた呉の相手ではありませんでした。
と言う訳で、この日の戦いは呉の勝利となり、戦いの趨勢は次の第5戦へと持ち越されます・・・


[ 蜀 VS 呉、 三国統一戦 第五戦、 蜀・残り一勝 呉・残り二勝 ]
統一戦5戦目。
西涼を雇って数的に有利に戦える蜀は、この日を決着の舞台と考えており、この戦いに気合を入れて臨んでいました。
一方、呉もここに勝てれば王手となる上に、次は西涼を雇って戦えるので、この戦いが正念場となります。
事実上の最終決戦、それがこの5日目の戦いでした。
そしてこの日の戦いは UO三国志 の戦いの中で、最も長い戦いでもありました・・・
西涼のいない呉でしたが、第3戦目と同じく個人単位の傭兵を多く雇い、またいつも以上の呼びかけによって普段より多くの武将が参加したため、数ではなんとか蜀に劣らないものを揃える事が出来ます。
戦場は例によって T2A の辺境地。
北に蜀、南に呉が布陣し、北側には川が流れていて橋が架かっているという地形です。
両軍、準備を整え、作戦を算段すると・・・ いよいよカウントダウン。
戦争開始!!
開戦直後、呉は北に向かってダッシュで移動します!
蜀と呉の間には道が交差しているポイントがあり、その付近が戦場になると考えた呉の陣営は、先にこの地点を押さえようとしたのです。
到着後、すぐに呉は通路に布陣し蜀を待ち構えます。
ところが、いつまで経っても蜀軍はやって来ません・・・
それもそのはず、蜀はもっと北にある橋で布陣し、呉を待ち構えていたからです。

蜀は西側が川になっていたのですが、三国志のルールでは鍵をかけたりしない限り船を使う事も許されていました。
蜀軍は西にある橋の所に布陣して敵を待ち構えるのを上策と考え、船を使って川を渡り、橋の北側で待っていたのです。
と言う訳で、互いに相手を待つ状態となり、そのまま両軍待ちぼうけに・・・ ^^;
しばらく後、斥候によって蜀が北に布陣しているのを知った呉軍は隊列を保ったままじりじりと北に進んでいきます。
しかしこの時点でまだ呉は、蜀が船を使って川を渡ったと思っていなかったので、橋ではなく最初に蜀がいた場所に向かって進んでいきます。
その後、呉は蜀の船を発見し、蜀が船で渡河して橋で布陣していた事を知りますが、その頃には橋はすでにもぬけの空。
蜀はどうやら呉の動きを見て、呉が裏から回り込もうとしていると思ったようで、すでに別の場所に移動した後だったのでした。
こうして・・・ 両軍が互いに自分達に有利な状態で敵に出会おうと、陣を構えながら相手の動きを読みつつ、戦場をぐるぐると動き回ります。
これは索敵合戦&心理戦という感じで、すごく面白い状態ではあったのですが・・・
しかし目立った戦闘は起こらず、あまり変化のないまま時間だけが過ぎていきます・・・

そして約1時間後・・・
両軍の位置はほぼ初期の状態に戻っており、蜀は再び北の橋に布陣していました。
そこに南から呉が隊列を組んだ状態で慎重に接近し・・・
ついに、両軍がまともにぶつかります!
呉軍に孫策の攻撃命令が下り、すかさず前衛の武将が橋に向かって突撃!
しかし橋できっちり陣形を組んでいた蜀はすかさずフィールド魔法と武将によってその突撃を阻止、さらに橋の側面に配置された弓部隊が橋上の敵を狙撃します!
呉軍は蜀の陣形の中に突っ込んだ形になって、いきなり不利に!
しかしこの日、私は各軍に1人任命される爆弾文官だったので・・・
すかさず橋の側面に走って行き、対岸の弓部隊に爆弾をポイポイ投げる!
爆弾の連爆で蜀の弓隊はさすがに後退、それを見てすぐ中央に戻り、橋の上のフィールドをディスペルフィールドで消去!
この時点でまだ橋上の呉の武将は相互包帯巻きと文官のヒールによって生き残っていたので、フィールドが消えると一気に蜀軍に向かって突撃、そして突破!! 呉が一気に対岸に雪崩れ込みます!
こうなると、守って崩された側より、攻めて崩した側の方が強い!
と、言いたいのですが・・・ この日は蜀の方も気合が入っていたのか、その後もかなりまとまった形で迎撃してきます!
そのため突撃していった呉の被害も大きく、そのまま両軍、死傷率の高い消耗戦的な乱戦に突入!
こうして、次々と多くの武将が倒れていきますが・・・
しかし、損害の出る割合は蜀の方が大きく、徐々に呉が押し気味になっていき、ついに蜀軍は離散して方々に逃走。 ここに戦いの大勢は決したのでした・・・
しかし、ここからがまた長かった。
蜀はそのまま少数によるゲリラ戦に突入。
隙を見て襲いかかり、やばくなったら逃げるというのを繰り返し、大将の劉備もひたすら逃げ続け、最後まであきらめなかったのです。

本来のUO三国志なら兵糧であるブタの丸焼きを食べて兵糧攻めで決着は付くのですが・・・
この最終戦は兵糧ルールはなしだったので、呉は何とか劉備を探すしかない。
しかしこの時点で呉の損害も大きく、あまり散開して探索を行えるほどの余裕もなかったため、このまま戦いは再び長い索敵戦に突入します・・・

その後、私もちょっと離れて敵を探しに行ったり、また戻ったりしていたのですが・・・
少し敵を探しに行った時、突然 物陰から蜀将がダッシュで襲いかかって来ました!
でもすかさず味方の方に走って逃げ、すぐに何人かの味方が駆けつけてくれて、逆に相手を追い詰めようと BOX に参加します。
で、相手は1人、味方はいっぱい。 これは倒せたかなーと思っていると・・・
「おふぉう〜〜」 断末魔。
おや、もう倒した? あ、あれ? 画面がまっくらに・・・ You are Dead。
・・・あら〜〜っ!!?
すでに大勢は決し、敵は単独、味方の援護は大勢。
すっかり余裕丸出しでいたら、いつの間にか HP 減ってて、コレ。
油断大敵でした・・・(TT

が、私1人が死んでももう大勢は変わりません。
その後もゲリラ戦を続ける蜀でしたが、1人、また1人と倒されていき・・・
長い捜索の末、ついに劉備も発見され、追撃の後 倒されます。
こうして3時間以上に渡る長い戦いの末、事実上の天王山となったこの戦いも、呉の勝利で終わったのでした。
そして、この最終決戦の趨勢は、これでほぼ決まりつつありました・・・


[ 蜀 VS 呉、  三国統一戦 第六戦、 蜀・残り一勝 呉・残り一勝 ]
互いに王手をかけた第6戦。
泣いても笑っても、これが UO三国志 最後の戦いです。
この戦いに勝った方が、統一国、すなわち UO三国志 の勝者となります・・・
最終戦ではありますが、呉には少し余裕がありました。
今回は西涼が呉の味方になっているからで、数的に余裕があるからです。
もちろん油断すると負けるので、最後も気合を入れて臨もうと話し合ってはいました。
殿を中心として集合し、最後の戦いの準備を始めます。
私はこの最後の戦い、2つの目標を立てていました。
1つは生き残る事。 最後の戦いはやっぱり生き残って勝利したいものです。
もう1つは、UO三国志 最後の瞬間の、決定的スクリーンショットを撮る事。
実は私は UO三国志 の出来事を新聞にしたページを作ったりしていて、せっかくの最後なのだから号外を出したいと思い、そのための最後の瞬間の写真が欲しかったのです。
と言う訳で、もちろん勝つ事を第一としつつ、この2つも目標にして挑む事にしました。

そしていよいよ、最後の戦いの幕が切って落とされます・・・
しかし、実はこの戦い、最後なのに詳しい戦況を今ひとつ覚えてなかったりします・・・
戦場は T2A ではなく、ブリタニアの平原の広がっている動きやすい地形。
そこで両軍は開始して間もなく正面からぶつかり合い・・・ そして、この最初の衝突で早くも蜀が壊乱、そのまま大勢は決してしまったのです。
蜀はこの時、かなり早い段階で撤退を開始したので、何か考えがあったのかも知れません。
しかし退却戦というのも難しいもの。
結局呉の追撃もあって蜀の被害はかなり大きく、方々に離散した蜀軍はまた少数ゲリラ戦状態になってしまったのです。
さてこの後、私はどういう経緯でそうなったのか覚えていませんが・・・
西涼の部隊と共に、蜀の残存兵を探し回っていました。
敵を発見しては追いかけられながら味方の方に誘導して行き、反撃する。
その繰り返しをしていたのですが、何度目かの敵発見の際・・・
いつもの様に逃げている最中、突然動きがピタッと止まる・・・ ラグです!!
多人数 War でラグはつきものではあり、早く動いてくれー! と願っていましたが・・・
動かない! 全然動く気配がない! 頼む〜〜と思いつつも、キャラは止まったまま。
これってもしかして・・・ フリーズ!?
その後、1分ほど祈りながら待ってみましたが・・・ キャラが動く事は二度とありませんでした。
絶望的な状況のまま UO を落とし、再起動。
Entering Britannia の後に広がっていたのは・・・ 予想通り、灰色の世界。
最悪でした・・・
UO三国志最後の戦い、最後ぐらいは生き残ろうと思っていたのに、このありさま。
しかも普通に死んだのならともかく、フリーズで死亡なんて・・・
もう、あまりのショックにしばらく呆然としてしまいましたが・・・
しかし、ショックを受けてばかりもいられない。
今回の戦い、もう1つ目的があります。 最後の瞬間の写真を撮る!
そちらはまだ終わっていません!
と言うわけで、なんとかブルーな気分を振り切って UOA を操作。
UOA のキャラの姿を変える機能(他の人からは普通に見える)を使うと、副作用によって、死んでいる状態でも画面がカラーで映ります。
これを利用し、さっそくニワトリカメラマンに変身!
ニワトリダッシュで蜀の大将 劉備を探しに行きます!
ある意味、この方が撮影はしやすい・・・

が、探しても探しても劉備は見つからない。
ゲリラ戦で最後まで諦めない蜀は、劉備も戦場を逃げ回っており、IRC で「西で劉備発見!」の報告があったと思ったら今度は「北で劉備発見!」という具合になってたりして、全然補足する事が出来ない。
しばらく駆けずりまわっていましたが、隅っこの方を探していて中央で決着がついたら最悪だし、どうせ蜀が逆転するには呉の大将を狙うしかないので、いずれ突っ込んでくるだろうと思い孫策のいる場所に戻って、文字通り背後霊のごとく待つ事に。
その後・・・ ゲリラ戦を挑む蜀の武将達でしたが、やはり多勢に無勢。
しかも今回はこの時点での呉の兵士数が多いので、残りの蜀の武将はどんどん討ち取られていき、数を減らしていきます。
いよいよ蜀は追い詰められてしまいます・・・
そしてしばらく後、意を決した劉備は・・・
少数の近衛兵と共に呉の本陣に向かってついに突撃!!
IRC で 「劉備発見!」 の報告が出ると同時に、本陣に劉備を先頭にした蜀の部隊が突っ込んで来ます!
それを孫策自らが迎撃!
UO 三国志、最後の戦いです!
カメラマン状態の私もシャッター(のキー)に指をかけて、画面に集中!!
そして、大将同士の数合の打ち合いの末・・・ 孫策の剣が劉備を一閃!
最後の叫びと共に倒れる劉備・・・ 決着の時!!
そしてもちろん、シャッターチャーーンス!!
こうして、撮れた写真が次の写真です・・・
「ふぅ」が・・・
「ふぅ」が・・・

「ふぅ」がなければ・・・ (泣

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・・・こうして、長い UO三国志 の歴史は幕を閉じたのでした・・・
最終決戦は終わってみれば、呉の1敗の後の5連勝となりました。
UO三国志 は、呉の天下統一として終わる事になりますが・・・
しかし元々UO三国志 は、ロールプレイを含めた戦争自体を楽しもうと言う企画。
結果はどうあれ、第6戦まで戦いがもつれた事は、両軍にとって楽しめた結果だったと言えるでしょう。
1999年春、まだ UO の黎明期、
日本シャードが出来て間もない頃に始まった UO三国志・・・
延べ人数で 200人 近い人が参加したこの一大企画は、2001年の春にひとまず終結を迎えます。

それは私が UO をプレイしてきた中で最も熱中した、楽しい時間でもありました。

最初、1つの掲示板の書き込みから始まったその企画は、紆余曲折を経て、三国志と言う物語に惹かれた多くの人を集めながら、次第に大きくなっていきました。

それは、そこに集まる人次第で何でも出来るという、 UO とネットゲームの限りない可能性を物語っていたようにも思えます・・・
UO三国志はこの後も第2部として続いていく事になりましたが、私は呉の勝利を見届け後、野に下りました。
今では UO三国志 のキャラは隠居し、縁側でお茶を煎じながら(アルケミ)、暇な時に盆栽(ガーデニング)をやったりして日々過ごしています。
かつての戦いの日々を思い起こしながら・・・
それは、ブリタニアの世界に、三国志の浪漫と戦乱を再現しようとした、男達(と若干の女達)の物語です・・・
UO三国志 呉・文官 陸抗 幼節

では、最後に、まだ続いている UO三国志 の紹介をちょっとしておきます。
UO三国志は私が参加した Asuka で行われていたものと、Yamato で行われているものがあるようです。
私自身はもう参加していないので、その状況がどうなっているのかはよく解りませんが・・・
興味のある方はチェックしてみるといいかも。
Asuka、UO三国志 総合ページ

Yamato、UO三国志 総合ページ

また、UO三国志 以外にも、派閥などの本格的な War 以外に、UO三国志の様な特定の日時に集まって戦ったり、ルート禁止などのルールを設けた戦争をやっているギルド・企画も存在しています。
UO はモンスター戦だけでなく、対人戦も重視されたネットゲームであり、スピーディーでバランスの取れた対人戦・多人数戦が出来る唯一のゲームでもあります。
最初は難しいと思いますが、そこには対モンスター戦にはない楽しみもあります。
もちろんモンスター戦や生産も十分楽しいものですが、機会があれば、対人戦をやってみるのもお勧めですよ!